「お前、本当に俺が好きなんだな」
 からかう、というのも通り越して、感嘆の気持ちも込めてミロは言った。カノンはちらりとソファのミロに目を向けるが、無言で元に戻る。今はこちらが最優先事項だ。中華鍋を器用に振りながら、絡んでくるミロは無視することに決めた。こっちだって、タイミングが重要なのだ。ミロの戯言にいちいち付き合っていたら、飯が台無しになりかねん。
 夜更けに突然やってきて、たたき起こされてみれば、腹が減ったと宣った。文句の一つも言いたいところだったが、どうせ堪えはしないだろうと早々に諦めて、渋々起きだして作ってやろうとすれば、これだ。惚れられているのを分かってやっているのだから始末が悪い。ただし一応言っておくと、ミロは別にカノンの愛情を試す、というような姑息な駆け引きのつもりは毛頭ない。単に腹が減ったのだ。
 当のミロは、ソファでゴロゴロ横になり、長い脚を組んで飯ができるのを待っている。手伝う気はまるでない。こういうことは、得意な奴がやった方がいいのだ、というのがミロの言い分であったのだが、カノンだって最初から得意であったわけではない。聖域約七年、海底約十三年、食いたければ自分で調達するしかなったということ以上に、何故か周りにいるのは料理下手なわりに味にうるさい連中で、ついでに食わせていた結果自然に身についただけである。そのうえ、まさに今も双児宮に押しかけてきた男に、甲斐甲斐しくも飯を提供するべく、中華鍋を握っている。最後のに関しては、惚れた弱みなのだから、どうしようもないのだが。
 我が物顔に寝転がるミロは、カノンが調理にかかりきりなので、暇を持て余していた。自分の飯だということは一先ず置いておいて、せっかく来たのに構われないのも不満である。何やかやと話しかけては、ちょっかいを出してくる。甘やかしすぎて全く我儘なのにも困ったものだとカノンは思っていたが、ミロの傍若無人ぷりは、カノンが原因ではない。もとから尊大で自信過剰で俺様な性格なのである。ただ、カノンに対しては、それが遠慮なく遺憾なく発揮されるというだけで。困りものだが、存外他人との距離感をはかるこの男が、そんな風に自由に我儘を言う相手は、意外に少ないことを知っているので、カノンは好きにさせている。これも結局は惚れた弱みに違いない。
「そんな様子で、俺が死んだらどうするつもりだ?」
 何気なく言ってみてから反応を窺う。返事が返ってこないので、丸無視かと少し不服そうに体を起こして、ミロはソファの背越しに火に向かうカノンを見やった。癖の少ない長い髪を一纏めにした長身の色男が、真剣な顔つきで調理をしている様は、想像するとおかしいが、そんな想像を超えて比類ない精悍な顔立ちと体躯を持っているカノンがすると、それすら様になってしまう。実のところミロがしょっちゅう食事をねだるのは、そういう姿と、意外に真剣な顔が見たい、というのもあったりするが、とりあえずそのことは、本人には言っていない。
 にしても。顔が真剣なのは、食物に対する敬意として褒められるべきものだが、さっきから手も動いていないような気がするのだが。
 不審に思ってミロは立ち上がり、カノンの方へ歩み寄った。
「俺の飯が焦げている」
 いつの間にか背後に来ていたミロが、カノンの肩に顎をのせ、ぼそりと呟くのを聞いて、カノンははたと我に返った。作っているのはカノンなわけで、なんだその所有格は、と突っ込むところはそこではない。現に飯は焦げていた。
「……意外だな」
 焦げた飯をぼんやり眺めながら、やはり止まった手はそのままに、カノンもぼそりと呟いた。
 何がだ、と肩に顎をのせたまま、ミロは怪訝な顔をカノンに向ける。カノンの整った横顔は、焦げた煙に巻かれても、整っているのにかわりはないが、眉根を寄せて考え込む顔は、少し色を失っているように見える。視線は手元に固定されたままだが、鍋を見ているわけではないだろう。察してミロは、淡泊に言う。なるべく感情は込めない声で。
「死ぬことだってあるだろう。俺たちは女神の聖闘士なのだ」
「それはそうだろうな」
 あっさりと言った。ミロは首を傾げた。
「お前が死ぬことは、想像できなくもない」
 抑揚なく淡々と言った後に、しばしの沈黙が下りる。ミロの視線に促されて、ようやくカノンは口を開けた。
「ただその先が想像できなかった」
 表情のない横顔を、しばらく無言で見つめてから、ミロは視線を元に戻し、かわりに頭をカノンの首に預けて言った。
「心配するな。お前の方が先に爺になるんだ。呆けて飯が作れなくなったら、その時は俺が作ってやる」
 年をとって死ぬ時まで、そばにいても構わない。先に死なない、とは言えないかわりに、わざとずらした返事には、ふざけた言葉選びの割に、とても温もりが満ちていた。
「いつの話をしているんだ。聖闘士にあるまじき発想だな」
 寄りかかる頭に顔を向ければ、ミロもくるりと顔を向け、近くで笑顔が交わった。
「だがとりあえず腹が減った。飯を食わんと今すぐ死ぬぞ」
 そんな脅しがあるものか、と言うのはやめておくことにした。そう言う瞳に浮かんでいた光が、珍しく優しいものだったから。少し顔を寄せるだけで、容易に届く口で、軽く己の口唇を食まれた。
 生きている間にこの口に入るものが、俺の与えるものだけなら、それはそれでいいんじゃないか。先ほど胸にぽっかり空いた虚を満たせるのは、この世にたった一人だけ。
 次の食事は何にしよう。そう考えるカノンの心は、既に何かで、満たされていた。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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