ミロはぶらりと双児宮へやってくる。今日も暗くなってから、例によって前触れもなく、いつの間にか入ってきていて、ああ、来たのかと、カノンが思う間に、居間のソファにごろりと転がる。
「どうするんだ?」
 最近ではきっちり整備された双児宮居宅のシステムキッチンのカウンター越しにカノンが声をかけると、ソファの背の陰から長い手が伸びて、軽く二、三度振られた。
 飯は食ってく、風呂は後、寝る。
 普段と変わらぬお決まりコース。口に出さなくてもよく分かる。
 飯を食って、風呂に入って、ごろごろしていたかと思うとさっさと寝室に移動していった。
「おい、まさかもう寝るつもりか?」
 一通り片づけを済ませ、少し遅れてカノンが寝室に入っていくと、ミロはごそごそと寝支度を整え始めていた。部屋もベッドも持ち主はカノンであるはずなのだが、これが来た時には優先順位は逆転する。遠慮なぞするはずもなく、シーツの中に潜り込もうとしているのを認め、カノンは一応聞いてみた。
「まだ0時前だぞ」
「寝て悪いか。明日は早いんだ」
 面倒くさそうに言う声が返ってくる。早いのを分かっていてわざわざ双児宮に泊まりに来たのだから、それなりの意図があったのかと思いきや、どうやらただの気まぐれか、気が向いたか、ともかくそういう範囲のことだったらしい。返る返事は分かり切っているような気はしたが、思ったことをカノンは口に出してみた。
「わざわざ来たのだから、そういうつもりなのかと思ったんだがな」
 ミロは丸くなった背を向けて、肩越しにシーツの隙間から顔を覗かせる。目を細めて流した視線でカノンを見やり、フンと鼻を鳴らした。
「全く。生憎俺は、お前と違って年中盛っているわけじゃないんでな。明日は早いと言っただろう。やりたければ一人でやってろ」
 そして再び丸くなる。完全に寝る体勢だ。ちなみに部屋にベッドは一つ。ミロは当然のようにど真ん中に陣取っている。
 仮にもそういう関係にある相手に対して、あんまりな言い様だが、今日カノンが言ってやりたいのはそのことではない。
「勘違いするな」
 丸くなった体を押しやり、どうにか作ったスペースに、カノンは体をすべり込ませた。といっても、ミロが体にシーツを巻きつけているせいで、背中は外へはみ出たままだ。邪魔をされて煩そうに後ろを振り向くミロに、カノンは言った。
「お前、明日が誕生日だろう」
 少し考えてから合点がいったらしく、小さく、ああ、と答える。どうやら本当にそういうつもりではなかったらしい。覚えていたかも怪しい。
「そういえばそうだったな」
 ミロはくるりと体を回し、カノンの方に向き直って言った。シーツの突っ張りが緩んだおかげで、ようやくカノンもちゃんとベッドの中に潜り込める。
「だからといって、寝てはいかんという理屈にはならないだろう?」
 まあ、そんな返事が返ってくるだろうとは思ったが。
「日が変わるのを一緒に迎えようと思って来たんじゃないのか、お前は」
 今までの会話で、既に無駄とは知りながら、言うだけ言ってみることにする。
「誕生日だからといって、なんでお前と一緒に迎えねばならんのだ」
 一字一句予想通りである。とはいえ、興味なさげな顔をしながらも、悪い気はしなかったらしい。青い猫目を大きく開いて、大仰な口調で言った。
「まあ、お前がそうしたいと言うのなら、付き合ってやらんこともない」
 祝ってもらう側の台詞ではないが、こういう言い方はこいつの癖、というかアイデンティティの一つなので、もはや嗜める気にもならない。言い方はともあれ、興味を持ったということは、少なくとも嬉しくないわけではないということなのだ。そういう機微が分かるほどには、カノンはミロをよく見ている。
「で、どうしたいんだ?」
「そうだな」
 ちょっと考えて、カノンは言った。
「日が変わったら、一番におめでとうと言ってやろう」
「つまらん。お前の発想はその程度か。そんなの女子供のすることだ」
 間髪入れずに、世の多くのカップルに喧嘩を売る発言をした。
「もう少し気の利いたことは思いつかないのか」
「そういうお前こそ、何かして欲しいことはないのか?」
 ふわりと広がる髪ごと引き寄せ、軽く抱きかかえるようにして言ってやる。
「特別に言うことを聞いてやる」
 と、言いつつも、結構普通の時も言うことを聞いてやっているような気がするカノンは、ミロの我儘には滅法弱いのだが、この際それは置いておく。
 少し考えてから、ミロはにやりと笑った。微妙にこの笑い方に嫌な記憶がありすぎるカノンは、少し身構える。
「そうだ、一つあった」
 言うやいなや、抱え込まれていた体勢からするりと抜けだし、仰向きに転がしたカノンの上に覆いかぶさった。
「やらせろよ」
 冗談なのか、本気だか、ついでにさっき早く寝るだの一人でやれだの、言っていなかったかという突っ込みも無意味である。全てはこの男の気分次第でころころ転がっていくのだ。に、しても。
「そんなこと考えていたのか」
「いつもお前ばかりが上に乗るのは不公平だろう」
 それこそ、言い出すなら別に今日じゃなくとも、と思わないでもない。だが、ちらりと見え隠れするのは、ちょっとした遊びのようにみせて、おそらく半分以上の本気。さも今思いついたような素振りであるが、考えたことがなければいきなり出てはこないだろう。が。
「最後まで俺を抱けるのか?」
 素朴な疑問である。
「……馬鹿にするなよ」
 ミロの作る影の中から、見下ろしてくる顔に言ってやれば、その顔の眉間に皺が寄り、あからさまにむっとした表情になった。
「そうじゃない」
 こういう時にかこつけてでもない限り言い出さないあたりが、男のプライドとでもいうのだろうか、ちょっと可愛いと思ってしまう。
「お前がそうしたいのなら、俺は構わんぞ」
 あっさり言ったカノンの上で、意外そうに見開かれた目は、しばらくの間言葉もなく瞬きを繰り返したが、すぐに笑みを強くした。警戒心が強い一方で好奇心が旺盛なのも、こいつの良いところでもあり、付き合うのには厄介なところでもある。若干の嗜虐心がちらついているのが見える。
「なんだ。お前こそ俺に抱かれたかったのか? そっちの趣味があるなら、初めから言っておけよ」
 言われたカノンの方は落ち着いていて、挑発するような調子にも別段憤りもしない。
「抱かれたいというのとは、違うんだがな……」
 事実、カノンには突っ込まれたいという欲求はない。ただこういう行為は、情愛を表す手段の一つであって、成り行きで受け入れることになっているミロが、それを不満に思っているのなら、耐えてみせられなくもない、くらいには、この男のことを、尊重したいと思っている。
「お前が俺に欲情するというのなら、それでもいいかと思ったんだ」
 ミロは、予想外の反応にしばし表情を固めた後に、何か言おうと一瞬口を開くが、そのまま閉じた。
「余計な口を叩くな。大人しくしていろ」
 調子が狂ったのを打ち消すように、やや乱暴に噛みつくようなキスを首筋に落としてきた。むきなる態度が幾分子供っぽくて可笑しい、と言うとまた怒り出しそうなので口には出さず、カノンは少し力を抜いて、ミロの後ろ頭に手を添えた。
 口を寄せて食みながら、たまに歯をたてて軽く噛む。たいして普段と変わりはしない。受け入れるつもりの時だって、元来攻撃的で、大人しく抱かれるより、自分が上にいる方が積極的に、要はそちらの方が好きなのだろうと窺えた。重なった体を密着させると、触れた部分の体温が急速に上がる。
「なあ」
 ミロの好きにさせておき、カノンは耳元で話しかけた。
 無言で鼻先を擦りつけながら、徐々に下へと、鎖骨あたりまで口を移していくミロに、もう一度。
「なあ」
「うるさいぞ」
 気をそがれて、ミロは不機嫌そうな声を出した。同じ体勢で同じことをしていても、ミロの方にはどことなく今日の方が余裕がない。いくら普段が普段でも、いざ本当に立場を逆転するとなると、どうやら勝手が違うらしい。懸命な仕草と伝わりくる緊張感が、やはり少し可愛いと思う。
「ほんとにお前、欲情しているんだな」
 重なり合った下肢の間に上りくる熱を感じて、カノンはこの場にそぐわぬ感慨深げな声を上げた。ミロはぴたりと動きを止め、上体の隙間を少し開けてから、剣呑な表情で言った。
「本当に俺を馬鹿にしてるだろう」
「違う。感動しているんだ」
 だってそうだろう? 初めはひどいものだったんだ。口ではいいと言いつつ、結局さんざん暴れて抵抗して。宥めすかして落ち着かせて、その気にさせて黙らせるのにも一苦労で、情感なんぞこれっぽっちもない、格闘だか運動だかの類のそれで、終わった後は野良猫を風呂に入れた後のような気分と有様で、それが。
「お前も、俺を欲しいと思っているってことだろう?」
 そう考えれば、大した進歩じゃないか。
 精悍な印象が強いので、普段意識させることは少ないが、もともとたぐい稀なる綺麗な造りの顔が、滅多に見せない形に緩む。
 満面の笑みは愛おしげに、ゆるやかに、ふんわりと。
――――――不意打ちに。

「……………………………………お前、卑怯だぞ」
 面前の光景をしばらく凝視した、のか、単に目が離せなかったのか、ともかくミロは、ぎこちなく、カノンの大腿の上に跨った腰を、僅かに浮かせて膝立ちになった。離れた体の先、緩慢に不自然に逸らした瞳を細かく左右に泳がせて、横を向く直前にちらりと見えたミロの顔が微妙に上気しているのが、見上げるカノンの目からも垣間見えた。
 立てた肘を支えに上体を持ち上げたカノンは、下から長い腕を伸ばして、癖の強い猫毛をかきわけ、遠くなってしまった頭を撫でる。
「俺はどっちでもいいんだ。お前と抱き合えるのなら」
 今更体を離したって、下肢の反応は隠しようもない。口をつぐんだままのミロに、構わずカノンは続けた。
「何を想像して興奮した? 俺を抱く方? それとも抱かれる方か?」
「だったらどうだと言うんだ」
 どちらだとも言わない。カノンの方を見ずに横を向いて言うミロの声は、少しだけ上擦っていた。
「お前に抱かせてやって、それでも満足させてやる自信はあるが」
 微笑を滲ませ、体を起こして向かい合う。腕を引いて顔を寄せると、ミロは逆らいはせずに、俯き加減に額を合わせてきた。
「俺に抱かれて満足できなければ、続きをすればいい。お前が損をすることは、何もないだろう」
 俯いたミロの顔を横から覗き込むように首を傾げ、艶を帯びた低い声で囁いた。
「俺がお前の望まぬようにしたことがあったか?」
 眉を寄せ、口をへの字に曲げたまま、ミロはぼそりと呟くように言う。
「それには大いに異論があるが」
 のろのろと見上げてきた青い瞳を大らかな碧の色が迎え、途端に絡み合う視線に熱が籠る。どちらからともなく近づいた口を、ミロは少しだけ開いた。
「今夜ぐらいは、騙されてやる」
 触れる直前の口唇で吐いた声は、そのままカノンの中に呑み込まれた。ゆっくりとかけられる体重に身を委ね、体を沈める。

 体を繋げて、心も繋ぐ、前よりは今、そしてこれから先もっと近くで。
 刻は0時。
 日が、変わる。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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