特別な日実のところ、浅い眠りに寝つきも寝覚めもよくないカノンが誰より早く起き出すのには、主に一つ、時々二つの理由がある。 一つ。サガの朝が早いこと。 同日同刻、同じ場所、すなわち執務と雑務とその補佐を執り行うべき教皇の間に、サガと同時に居合わせるには、サガが衣食住すら其処で行っている以上、カノンの朝が更に早くなるのは必然である。なにせ道のりは九つの宮。それは強いられたことではなかったし、サガがカノンに望んでいることはもっと別のことかもしれないのだが、察してか、敢えて察せずしてか、この習慣を固辞していたのはカノン本人である。だから仕方がない。 時々二つ。 その時々の一日には、いつにも増して双児宮の朝は早く始まる。 「先に出る」 「飯くらい食って行け」 一度そばで眠ることを許せば、眠りも深いが、寝つきも寝覚めも良い男より、早く動き出すのは容易ではない。慌ただしく洗いざらしの長い髪を揺らして出て行こうとするミロに、キッチンのカウンター越しにカノンは声をかけた。それなりの朝飯、調理中。 カノン自身には大して食への拘りはない。サガもいなければ、誰が来るでもない双児宮は、起きて適当に胃にものを入れて出て寝に帰るくらいの場所だったのが、最近の生活用品特にキッチン周辺の充実ぶりには目を見張るものがある。元来、食う者がいれば作る、作れば拘る、思えばそれの繰り返しだったような気もする。自然スキルも上がるというものだ。 「天蠍宮に聖衣を取りに戻らねばならんのだ」 「分かっているなら最初から持って来ればいいものを」 結論から言うと、こちらも仕方がない。この習慣をすすんで受け入れたのは、やはりカノン本人だからである。 「昨日はさっさと寝るつもりだったのだ」 誰かのせいで予定が狂ったと呟くミロは、完全にカノンのせいと言わんばかりであるが、始まりはともかく、睡眠時間が大幅に削られることとなったのは、ミロの責任もあるんじゃないかと、カノンとしては思いもするが、そういうことは口には出さない。 「起きていてくれたおかげで、一番におめでとうと言えたから、俺は満足だ」 ミロが一瞬居心地の悪そうな顔をしたのを、カノンは見逃さなかったが、それも口に出すことはしない。 「嬉しかったのならそう言っても良かったんだぞ」 代わりに、間近で逸らした顔に言ったのと同じ台詞でなぞらえて、ちょっと記憶を引き寄せてやる。0cm以下の距離で触れ合いながら囁かれたのを、思い出さないほどそれから時間は経っていない。こういうところで密かに刷り込んでおくのも、年の功のなせる業だ。 ミロが噛みついてくる前に、紙の包みを投げてやった。どうせこんなことになるだろうと、作った朝飯は歩きながらでも胃に収められるピタパンでくるんだギロ。ザジキソースに絡めたハーブ風味のグリルチキンに、レタス、トマト、オニオンをたっぷり。黄金聖闘士仕様、サイズ大きめ。ギリシャヨーグルトの酸味が、好みのはず。 「天蠍宮に着くまでに食ってしまえ」 行儀が悪いとシャカあたりにどやされそうだ、とぶつくさ言いながらも、包みに染みる肉汁と香り、出来たての熱を、ミロは大人しく手に抱えた。反撃も封じた見事な手腕も、カノンの地道な餌付けの賜物である。 扉を開けようとする後ろ姿に忘れ物だと声を掛ければ、これもいつもの習慣に振り向いて、大人しく待つ顔に別れの挨拶を落としてから、カノンはその口で問う。 「今日の帰りは」 もう一つの口から返事が返る。 「然程遅くはならんだろう」 少し思案し間を開けてから。 「お前の方が遅いんじゃないか?」 ただでさえ多忙な上に抱え込みがちなサガの仕事を半ば強引に奪っても、こなせてしまう能力値は、流石双子というべきか。結果、カノンも多忙になる。 「サガの目を盗んで帰れなくもない」 「やるとことはやれ。余計なことはするな」 断固とした口調。カノンの立場と兄弟関係を慮る面もあるのだろうか、ミロの目は真剣なので、カノンも冗談めかした色を引っ込めた。 「分かった」 ふぅと息を吐いてから、もう一言付け加える。 「早くあがれたら天蠍宮に寄る」 「それでいい」 多少残念な気もしなくはないが、頷くミロの満足げな顔を見れば、まあいいかと、カノンも和んでしまうのだから不思議なものだ。 つまりは普段通りということだ。何気ないやり取りも、ちょっとした応酬も。 ふっと笑って行って来いと頭を撫でる。くしゃっと手に馴染む柔らかい髪は、まだ少し濡れていた。 天蠍宮には夜遅く、土産は二十年物ワインが一本。そういうことは早く言わんかと、既に日もとっぷり暮れてから帰りがけに口を滑らせた弟に、深刻な面持ちで言う兄から、持って行け、いらん、お前にではない、の押し問答の末、配達の名目で受け取った。 飯を食って、風呂に入って、ごろごろしながら少しばかり酒を飲む。 「結局いつもと変わらなかったな」 居間のソファに腰を沈め、片手にグラス、残ったもう一方で足元にふわふわ動く髪の一房をいじりながら、カノンは軽く呟いた。 「それの何が悪い?」 斜め上をくるりとした目で見上げてくるミロは、床に直接座り込んで、のびのびと足を投げ出している。良い酒も飲めた、酔いも加わり機嫌はまずまず。 「もう忘れているのか? お前、今日が誕生日だったろう」 呆れた声を頭の上から降らすと、ミロはしばし考えて、思い出したというように言った。 「そういえばそうだったな」 なんとなく、返ってくる言葉に察しはついたが、カノンは黙ってその先を待つ。 「だからといって、何かする必要があるのか?」 まったくもって思った通りだ。 「必要があるとかないとかではなくて」 溜息交じりに言ってから身をかがめ、膝あたりにあるミロの頭を、わさわさとかき混ぜ覗き込んでカノンは言った。 「俺は、何か特別に祝ってやりたいと思っていたんだがな」 「普段通りでいい」 乱された髪を煩そうに払いながらも、それほど嫌でもないらしい。後ろ頭に残ったカノンの手に、少し頭の重みをかけてミロは答える。 「特別なことなどなくてもいい。今日でなければ出来ないこともない。明日もどうせお前は来るし、俺は普段通り此処にいる」 だったらそれで十分だ。 さも当然、と言わんばかりの何気ない口調で、見上げて来るのは青い瞳、見慣れているはずその色は、なのに見る度に新鮮な、知らない感情を呼び起こす。 「……そうだな。俺もそれで十分だ」 思わずこぼれた笑みを受けて、分かればいい、と喉を鳴らして笑う。ミロはごろりと体を伸ばし、カノンを枕に気持ちよさそうに寝そべった。 今日も明日も明後日も、共に在り、共に居て、飯を食い、話をし、触れ合い、分かち合う。そのことがたぶん、特別だということなんだろう。 刻は0時。 新しい特別な普通の日を祝す。 |
![]()
Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
ねむたい宇宙 http://sleepycosmos.halfmoon.jp/ |