「小癪な、虫けらの分際で……!」
 直前までの激しい金属同士のぶつかり合いはまるで嘘のように、辺りは静寂に包まれていた。伏した男の傍らに膝を折って見下ろす、冷徹な漆黒の闇の支配者。だが、権高な台詞とは裏腹に、声は絞り出すような苦みを帯び、眉間には深い皺が刻まれていた。
 全てを自らの無に飲み込もうと迫る闇の中で、地を濡らした赤だけが、じりじりとその領分を浸食する。
 止めることは出来ない鮮烈な赤。
 それは絶望の色をしている。

「………ッ……」
 血溜まりの中から伸ばされた手が、すっとミロの顔を掠めた。ミロはびくりと大きく肩を震わす。
 伸ばされた手は探すように宙を彷徨ってから、そっと頬に触れてとまった。
「なあ、泣くな」
 男は笑った。
「泣いてなどいるものか」
 ミロは小さく呟いた。
 乾いた頬に触れたカノンの指先が、優しく目の下をなぞる。
「涙の流し方も忘れてしまったのか。不器用だな」
 もう一度笑ってから、カノンは重い腕を地に落とした。カノンの指先がなぞっていった部分に、赤い痕が残る。
「貴様に言えたことか」
「そうだな。俺も大した不器用ぶりだ」
 笑おうとしたカノンの声は、かはっ、と、鉄の匂いのする呼気にかき消された。

 しくじった。だが、これも運命だ。そして本望だ。
 どうやって体が動いたのかは覚えていない。気づいた時には、黄金の髪をたなびかせた孤高の魔物を狙った銀の弾が、己の胸に埋まっていた。
 流れ出る体液は生物の命そのもの。それを糧としながらも、胸にある心臓は拍動を止め、繋ぐべき生命を持たぬ矛盾した存在。
 彼らは、終焉なく繰り返す、刹那の刻を生きている。
 哀しいとは思わない。ただ美しいと思った。刹那だからこそ美しいのだと。

「俺の望みは、お前の中に刻まれることだ。緩やかに腐りゆく永遠の退廃の時を、過ごすことではない」
 闇を帯び月を背負って佇む姿に魅入られ、身も凍るような鋭い青い視線に貫かれ時、カノンは願った。
「貴様などちっぽけな虫けらに過ぎん。悠久に続く俺の刻の一瞬を横切った、ただそれだけの存在だ。すぐに忘れる」
 願いながらも、叶わぬことも願った。
 それでいい。誇り高く、美しく、何者よりも強くあれ。
「ああ、そうだ。俺のことなど忘れてしまえ。ひとところにとどまり、よどみゆくなどお前には似合わない」
 かすんだ目はもう見えなかった。
 これ以上、満ち足りることはない。今が、一生で、最高の時だ。
 俺は幸福だった。最後に見た光が青かったから。
「超然と、孤高に、前へ進め。ミロ」
 幸福、だった。

 一筋の熱いものが、ミロの頬を流れ落ちていった。忘れるほど長い刻の彼方に、置き去りにしてきたはずの何かが。
 明るみかけた空に、鳥の黒い影が横切る。夜の住人は己の世界へと還り、これからは光に生きるものの時間。
 赤く染まりゆく地平線の向こう、昇りくる太陽に挑むように、ミロはすっくと立ち上がった。
 今感じているのが、仮初め鼓動だというのなら、形ばかりの心臓など吐き出してしまえ。

 超然と、孤高に、前へ進め。
――――ミロ。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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