カーテンの端から漏れる光が顔の前をよぎり、朝の訪れを告げる。太陽の刻む時に忠実な身体は、夜の営みがいかに深くなろうとも、速やかな目覚めを迎えることに馴れている。胸の上に投げられた腕の重みに感じる心地よさに包まれながら、どれくらいの間か、ミロは覚醒と微睡を行き交う波に、身を任せていた。
 薄目を開けて瞳だけを動かし、胸元に寄せられた頭とその先に連なる剥き出しの肩が、穏やかに上下するのを眺める。上から抱えられるような姿勢のまま、籠った熱に眠気を誘われ、落ちた時のことは既に記憶になく、だから、いつも腹が立つくらい余裕の笑みを浮かべている男の、そうでない姿を見ることが出来るのは、この時しかないのだ。乱れて皺の寄ったシーツに埋もれて、流れる長い髪に隠れた寝顔を覗くように、少しだけ吸う息を深くしたミロは、僅かに首を傾げた。
「まだ寝ていろ」
 その僅かな身じろぎも、敏感な浅い眠りの男を覚ますのには、十分だった。人のことをとやかく言うが、幼い頃からの習癖がそうさせるのか、こいつの方こそまったく隙を見せようとしない。悟られないようミロは軽く舌打ちをした。当然のように飄々としている様が、俄かに崩れる瞬間を見てみたいと、たまに、思う。
「今日は非番だろう」
 起きるつもりはないらしい。だが以前とは、少し違うところもある。眠りは浅いが意外に寝汚いのだと知ったのは、いつだったろうか。回した腕に力を込めて名残惜しそうに顔を寄せてくるのは、誰にでも見せる姿ではない。どうやら甘えられているらしいと気づいた時と、たぶん同じ頃。言ってやるつもりはないが、少しだけ嬉しくもある。
 そしてもう一つ、ミロだけが知っていることが出来た。
「カノン、腹が減った」
 顰められた、それでも秀麗な眉の下で、絶対に応じまいと固く瞑られていた瞼がはたと開き、碧い瞳が現れた。寝起きの悪い男を起こす謎の呪文だ。
 吹き抜ける風のようで悠然と、そういう男が、こんな他愛ない言葉に面白いように反応し、それを知っているのは自分だけなのだ。これも口に出す気はないし、誰かに教えてやるつもりもない。そうだ、自分だけが知っていればいいことなのだ。
「たまには俺が作ってやってもいいが。味の保証はせんぞ」
 頭の後ろで腕を組み、にやにやと笑って言ってやれば、しばらくの葛藤の後、――おそらくまだこのまま触れ合う温もりを抱いて寝ていたい欲求と、ミロを空腹のままにさせておくわけにはいかないという殊勝な義務感と、残りは惨憺たる朝飯の想像の間で揺れ動いたのであろうが――、カノンはのそのそと怠そうに体を起こした。妙に律儀なところがあるのだ、この男は。ミロは内心笑い出しそうになりながら、ベッドに未練を残しつつ起き出そうとするカノンを見上げて声を掛けた。
「素直なご褒美に、キスさせてやってもいいぞ」
 ひょいと目を瞑って顎をあげる。こんなサービスは滅多にしない。珍しい姿が見られて機嫌がいいのと、解かれた腕の重みが少し寂しかったのがあるのだが、今のこの男は気づくまい。案の定、言われたことの意味を掴みかねたのか、カノンはベッドから降りかけて床に片足をついた状態でぴたりと止まり、優に数秒は静止していただろう。
「しないのか?」
 つられてはだけたシーツを気にするでもなく、露わになった脚を交叉させてちらちらと動かすつま先と、薄く開けた下目使いで誘う。誘われて覆い被さってきた身体の体温に満足して、ミロがもう一度目を瞑ると、カノンはすぐに口を塞いできた。
 覚醒途中のぼんやりした意識でするキスは、目覚めの軽い啄ばみにはならなくて、かといって噛み付くような激しさでもなく、じんわりとゆるやかに、ゆっくりと吸い付くように、口の内側の粘膜を確かめて、半分夢の中の中途半端な濃密さで終わる。少し離した口唇の間に引いた糸が弧を描いて落ち、余韻が仄かに後を引いた。距離を僅かに開けたまま、引こうとしない、の割には続けようともしないカノンを不審に思い、ミロは青い瞳を現して、カノンの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
 まだ寝ぼけていて迅速な判断が出来ないでいるのか、らしくなく迷う様子と戸惑った顔に、しかしピンときて、ミロは、ああ、と片側の口角をあげた。
「良かったな。まだ若いってことが証明されて」
 ミロだってカノンよりも若いのだが、目覚めてからしばらく経っている分だけ有利である。寝起きの朝の男の事情に、うっかりキスで火が付きかけたのをからかわれ、恨めしげに睨んでくるのがまた可笑しくて、こちらももう少し苛めてやりたい気持ちに火が付いた。少しは余裕をなくすといい。
 両手をカノンの首に回し、近くに引き寄せた顔に向けて言ってやる。
「ご褒美にキスしてやろうか」
 先程とは逆の、だが、口に、という意味でないことは自明である。驚いたように見開いた目に情欲がよぎったのを、ミロが見逃すはずもない。口を開いてから言葉が漏れ出るよりも前、絶妙のタイミングでかけた追い打ちに、カノンはそのまま口を閉じるしかなかった。
「飯が美味かったら」
 数度瞬きをしてから、顔を顰める。
「飯の後まで待たせる気か。美味くなかったことはないだろう」
 一度膨らんだ想像は、そう簡単に消えてくれはしない。意識した時に一段と昂ぶった熱を抑え込む努力など無駄だと、同じ男だからこそわかるというものだ。一息の逡巡の後に、カノンは唸るように言った。
「先払いでどうだ?」
 残念ながら今朝はいつものキレがない。動じもせずにミロは唄うように続けた。
「何だ、待てないのか。堪え性がないな」
 揶揄するような台詞だが、声音は愉しそうに、喉の奥で笑う。
「お願いするなら、考えてやらんこともない」
 羞恥も矜持も、こういう時のミロの前には無意味だと本能の部分が悟っているのか、それとも、差し迫った本能の欲求の前にはそんなものなど無意味なのか、迷っていたのはおそらく一瞬で、あとは口に出す契機を待つのみ。
「…………ミロ、頼む」
 先を促すミロの視線に、もう一度逡巡を覗かせてから、観念したように揚げた白旗は、切羽づまった色に染まっていた。
「頼む……」
 あと一言、言わせたい気もするが今日はこれで許してやる。普段は薄く笑ってミロの口腔内を思うままに蹂躙する口唇が言いにくそうに歪み、逸らされた目が揺れるのが見られた。それで満足することにする。
 ぐるりと体を反転させ、ベッドの背にカノンを押し付けておいて、ミロは悠々とうつ伏せに寝そべり体を伸ばした。下肢の狭間からカノンを見上げる青い瞳が、悪戯っぽく笑っている。いつになく艶を含むその表情に煽られて、既に勃ち上がっていたカノンのそれは、ミロが軽く触れただけで反り返り、更に質量を増した。先端に接吻したときにわざとらしくたてた水音が響き、心臓の裏側を刺激する。

 半開きの口から漏れる息が、荒い。シーツに伸ばされた長い指先が僅かに震えて、力が込められるのが、横目に見えた。
 上下に筋を舐め上げてから、口腔内に収める。柔らかい括れの部分を何度も甘く口唇で食み、先端を吸い上げると、吐いた息に熱が混じるのが知れた。上目づかいに窺う先で、普段は涼やかな碧が、情欲を宿した深い色に濡れる。
 この行為に、ミロは馴れているわけではない。知っているのは、今は悦に染まった瞳に見詰められながら、あの開きかけた口の中に埋められて施される行為。優美に蠢く指先が自身に絡み、その下の双球を柔く揉みしだく様が不意に浮かび、引き出された悦楽さえも蘇る錯覚に囚われそうになる。口唇で挟まれ強く吸われる度に声を堪えるしかなく、舌で撫でられた刺激に息が詰まる。割れ目に当てがわれた舌先が押し付けられれば、漏れ出る嬌声を押さえる術は奪われた。
 口に含んだまま這わせた指を上下させて、ミロはカノン自身をそのまま深く咥え込んだ。俯いた拍子に落ちかかる髪に苛立って、無造作に空いた方の手でかきあげる。滅多に曝さない耳から項へのラインに、僅かな赤みがさすのがどことない艶かしさ醸していた。しているのに、されているかのような。行為の記憶と、記憶をなぞる行為の倒錯感が、高揚を誘う。
 いつもどうやってされていたか。だが、呼び覚まそうとしても、最後まではどうしても辿ることは出来ない。与えられる快楽に頭の芯が揺らぎ、途中から文字通り真っ白になった思考に飲まれた後のことは、何も思い出せないからだ。いつの間にか追い上げられ、手放した理性の淵で見逃してしまうのだけれど、徐々に深みを増し、潤いを帯びてくる碧い瞳が好きだ。高まる度に熱を帯び、何度も求めて耳に響く低い声が好きだ。
 いつも余裕の端正な顔が、今は眉を顰めて口唇を噛みしめ、愉悦に耐えている。艶のある吐息が空気を揺らし、ミロの耳に届いて、下肢の中心が疼くのを感じた。

「やめた」
 ミロは含んでいたものを唐突に解放し、呆然とするカノンを取り残して、上体を起こした。
「気が変わった」
「お前……、ここでやめる気か」
 昇り詰める途中で放り出されたまま、行き場を失った熱を持て余し、浅い息で抗議の声をあげるカノンを見返す瞳は、だが、同じく深い青色に潤んでいた。
「俺もその気になった。もう少し我慢して付き合え」
 できるだろう、カノンの両肩に手を掛けて、腰に跨り見下ろすのは、尊大で艶容な支配者。
「先にイッても構わんがな」
 細めた瞳の艶と、声を出さずに喉の奥でくぐもる笑い声が、蠱惑的にカノンの鼓膜を犯す。
 そうだ、もっとだ。もっと必死な面を曝せ。
「俺は、一緒がいいな」
 さらりとした髪がかかる間を縫って、耳元に口を近づける。仄かに赤く染まった耳を軽く噛んでから、息を吹きかけるように、囁いた。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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