星の詩(うた)Bby ゆいま様何度目かの杯を触れ合わせて、カノンはグラスを口に運んだ。 ミロは爪の先で琥珀色の液体に浮かぶ氷をカラカラと弄んでいる。 カノンが持参したボトルは既に空だ。ミロが新しく持ち出したボトルも残り少なになっている。 そのほとんどはミロの胃におさまっていた。 酒に強いのは体質によるところが大きいが、それにしてもずいぶん慣れた呑み方をする。 とても昨日今日はじめて呑みました、という呑み方ではない。 その年齢を鑑みると、この悪ガキめ、と自分のことは棚に上げて説教のひとつも垂れたくなる。 まるで水でも飲む勢いで次々に杯を重ねてはいたが、ミロの酔い方は、絡むでなく、泣くでなく、説教するでなく、やはり彼らしく、ずいぶんさっぱりしていた。 ただひとつの問題点を除いては。 見た目は大して変わらない。 酔いが回るにつれてほんの少し饒舌になる。 何度か一緒に呑むうちに、最初の内はどれだけ酔っても見せていなかった本音を、最近では素直に吐露するようになっている。 会うごとに引き出される本音は、突っ張って見せている鎧を一枚ずつ剥ぎ取っているようで、正直、かなりそそられるのだが、問題はそこではない。 「氷河はな・・・俺を好きなんだ。あいつバカだから気づいてないけど。」 もう何度も聞いたセリフを、今夜もまたミロは繰り返す。 この話が出始めたら、かなり酔いが回っているな、とわかるくらいに、いつも同じだ。 「根拠のない自信だな。」 「なに?根拠ならあるぞ。」 だらしなくソファの背へ身体を預けていたミロが、がばりと身を起こす。そして、カノンににじり寄り、がしっと肩に腕を置いて引き寄せた。 「見ただろう?お前だって。俺とキスした時の氷河の顏を。」 そう言うミロの唇がカノンの頬に触れそうなほど近い。 これだ、問題は。 氷河への構い方からして、多分元々スキンシップの好きな奴なのだろうが、酔うとますます距離感がおかしくなる。 これで勘違いしない奴がいたらお目にかかりたい。 もちろんカノンも最初は間違った。 なんだ、ずいぶんあっさり落ちたな、と、くっついてきたミロを押し倒したら、酔っ払いとは思えない俊敏さで逆にのど輪を押さえて締め上げられた。 あれで誘ってないとは無茶苦茶な奴だ。 今もカノンの顏のすぐ横で、なア、聞いてんのか?とアルコール臭い呼気を撒き散らしているミロの額をカノンは掌で押し戻した。 一見いつもどおりの見た目のくせに、ほんの少しだけ赤くなった目の縁だとか、気づかないほど僅かに舌足らずになるところだとか、自覚なく放たれる色香が心臓に悪い。 わかりやすく酔われるより、自分にだけわかる僅かな変化というものにカノンのような人間は弱い。 まるで自分が『特別』になったような。 カノンはミロを見ない様に視線を逸らしてため息を漏らした。 「お前が構うと氷河が顔を赤くするから、か?ずいぶん浅い根拠だな。百歩譲ってお前が言うことが正しいとしても、氷河にはカミュがいるだろう。いい加減諦めたらどうだ。」 「なんでカミュがいたら駄目なんだ。」 「それは・・・駄目だろう、普通。」 「お前、意外と常識人だな。つまらんヤツめ。いいじゃないか、3人で仲良くしても。何の問題がある?」 「変なヤツだな。3人で仲良く、でいいのか。小僧を独占したいわけじゃないのか?」 「独占したいに決まってるだろう。アレは俺のものだ。」 でも、カミュのことを傷つけたいわけでもないからな、とミロは小さく付け足した。 高揚していた気分が萎えたのか、カノンの方へ乗り出していた身を元に戻して杯をあおる。 カノンはそこへ再び酒を注いでやった。 「お前が好きなのは、本当はカミュの方だろう。」 あまり外の世界を見ていないカノンだが、二人の幼い頃はいくらか知っている。 聖域に来た最初の頃から二人は仲が良かった。 だから、カミュの『一番』が自分ではなくなったことが悔しく、それでカミュの関心を引こうと新しく『一番』になった少年を構っているのだと思った。 だが、ミロは驚いたように片眉をあげ、それから笑った。 「それはない。俺が手に入れたいのは氷河だ。カミュじゃない。」 「何故そんなにまであの小僧に拘る。」 確かに、時々はっと目を奪われるほどの涼やかな美形だ。 だが、まだ大人になりきる前の青い果実でしかない。 ミロほどの男がそこまで執着する理由がわからない。殺意すら翻して見せた柔軟性はどこへ行った。 「だって可愛いじゃないか、あの坊や。」 「可愛いだけならほかにもいるだろう。」 「いないよ。氷河の代わりはどこにもいない。アレは特別なんだ。」 「お前と戦ったからか?聖衣に血を与えたとも言っていたな?」 聖闘士だ。戦うたびに相手が『特別』になっていったのでは、とんだ多情家だ。カノンなど戦った相手も数も覚えていない。 ミロは答えず、また杯をあおった。 そろそろ止めるべきかとカノンは注ぎ足すのをやめたが、ミロは勝手にボトルから自分のグラスに酒を注ぎ、ついに空になった2本目のボトルを確認するように振った。 じゃあ、と3本目を取りに立つミロの手をカノンは引いて止めた。 全く酔っているように見えなかったミロだが、そんなに強い力で引いたわけでもないのに簡単にカノンの腕の中に倒れ込んできた。 「今日はここまでだ。」 「・・・まだ酔ってないぞ。」 「と、たいていの酔っ払いは言うな。」 「俺は酔っ払いじゃない。」 「・・・わかった、お前は酔ってはない。でも、俺が限界だからもう勘弁してくれ。」 ミロはカノンの腕の中で「不甲斐ないヤツ」と目を閉じて笑った。そのまま、しばらく動きが止まる。おい、寝るなよ、と声をかけた時には遅かった、ミロはすうすうと寝息を立てて眠ってしまっていた。 ・・・今どき小娘でも、なんだって? 思いっきり隙だらけじゃないか、お前は。 言っとくが俺はちゃんとフェアに『夜這いに来た』と宣言したぞ。 ことあるごとに手に入れたいとも言ってる。 それで、なんでここまで無防備でいられる? 『俺は永遠にお前に応えなければいい』からか? お前が応えるかどうかにかかわらず、俺が実力行使するとは思わないのか。 多分、ミロは自分が食物連鎖の頂点に立つ捕食者だと信じて疑っていないのだ。 ずっと日なたを歩いてきたお前らしい。 世の中には光と影が容易に逆転することがあふれているというのに。 黒と白も。表と裏も。捕食者と被食者も。 想像すらしていないのだろう。自分が被食者となることを。 「教えてやろうか。俺が。」 寝息を立てているミロの首元に手をやる。喉を締め上げるように片手で掴む。 まだ彼は寝息を立てている。 聖闘士として、この無防備さは致命的ではないのか。 それとも、そこまで俺を信頼しているのか。 命すらすっかり預けていいほどに。 ほんの少し前まで、敵として立っていたこの俺を。 ミロの眉が僅かに苦しげに歪められ、カノンは手を離した。 そのまま肩にかかる巻き毛を指に絡めてそれを指先で弄ぶ。 甘いな、お前は。 簡単に信用しすぎだ。 俺ならあの時に確実に殺していた。 それは、ずっと日の当たる道を歩いてきたミロだから見せた甘さで、でも、その甘さに救われたカノンはそれに愛おしさを感じるのを抑えられない。 戦士としての判断は、あまりに人情的すぎて甘いが、お前はそのままでいい。 ずっと光の道を進め。 陰の部分は俺が引き受けてやろう。 嫉妬、苛立ち、孤独感・・・負の感情がどんなふうにその心を苛むか俺はよく知っている。お前にそんなのは似合わない。 「俺にしておけ、ミロ。」 聞いていないのを承知で声に乗せる。 せめてもう少し届きそうなものを求めているなら、身を引いてもやれるが、酔うたびに呪文のように「氷河は俺が好きなんだ」と自分で自分に言い聞かせているのはどうにも痛々しい。 ミロを抱く腕に力を籠め、髪の毛に口づけを落とす。 ミロの胸が規則正しく上下している。本格的に寝入り始めたようだ。 やれやれ。 大型の肉食獣を(何度も咬まれた末に)手なずけた気分だ。腕の中で眠るとはずいぶん馴れた部類に入ると思うが、さて、この先をどうしてくれよう。 カノンは身体をずらして、ミロの背と膝裏に腕を差し入れ、抱き起した。 動かしても目を醒ます気配もなく、健やかな寝息を立てている。 力の抜けた躰はずしりと重く感じる。 カノンより僅かばかり小さいとはいえ、鍛え抜かれた筋肉質の体躯は腕二本で支えるには少し無理があった。 仕方なくカノンは、ミロの身体を、肩に担ぎ上げた。 これだって重いことには変わりないが、まあ寝室までの距離だ。なんとかいけるだろう。 |
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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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