by ゆいま様


自宮の中に氷河の小宇宙を感じて、上機嫌で扉を開いたミロの目に飛び込んできたのは、カミュの名を呼んでカノンに組み敷かれて暴れている氷河の姿だった。
一瞬、ミロの動きが止まる。
が、次の瞬間にはネコ科の獣が跳躍するような動きでカノンに飛びつき、上体を抱えるように引き倒した。
「貴様ッ!!」
カノンは強い抵抗もなく、氷河の上から床の上へと滑るように落ちたが、ミロは、その崩れた体勢を立て直す暇も与えずその頬に拳を叩きつけた。
教皇の間に呼ばれていたのでミロは聖衣姿だ。黄金聖衣を纏ったままの拳でほんの少しも手加減せず叩きつけた怒りは、軽々とカノンを部屋の端まで吹っ飛ばした。
「氷河っ。」
ミロはマントを翻して振り向き、氷河の前に膝をつこうとしたが、それより早く氷河は身を起こし、逃げるようにソファから立った。
ドアの方へ向かう氷河の足がもつれ、何度かよろめいて膝をつく。
「氷河!」
ミロが差し伸べた手を氷河は振り払った。そして、一度も振り返らずにふらつく足取りで走り去っていく。
「氷河!待て!」
追いかけようとするミロの腕を、いつの間にか背後に立っていたカノンが引いて止めた。
再び振り向きざまにミロは怒りにまかせた拳を繰り出したが、カノンはそれを片手で掴んで受け止めた。
「よせ、ミロ。」
「なんでだ!お前一体何した!!手を離せ!アイツを追わないと!!」

多分、今頃、泣いている。
氷河はカノンを尊敬していたのに。

ミロの腕を離さないままカノンは頭を振った。
「ミロ、それはお前の役目じゃない。わかるだろう?氷河が誰を呼んでいたか。」
ミロの動きがピタリと止まった。
しかし、カノンは抵抗がなくなった後もその腕を捕まえたまま言った。
「ここは天蠍宮だ。俺を排除したのはお前だ。なのに氷河が呼んだのは誰だ?」

そんなこと。
今更。

「氷河の表情を見たか?」

見たとも。
薄紅色に染まる頬。潤んだ瞳。震える唇。
嫌だ、と言いながら返すその反応は、とても嫌がっているようには見えない、馴染みの表情だ。

「同じだろう。お前の時と。」

寸分の狂いもなく同じだ。

「アレはお前に気があるからあんな反応なんじゃない。抗う方法を知らないだけだ。まだたいした経験もないほんの子どもだ。与えられる刺激に勝手に躰が反応して、それをどう受け止めていいかわからずに混乱しているんだ。他愛無い子どもの勘違いに、お前がつけ込むような真似はするな。」

とっくにわかっている。
別に氷河が俺のことを好きなわけじゃないことくらい。
だけど、あんな表情をされたら。
もしかしたら、と思うじゃないか。
一番目にはなれなくても、二番目くらいには。

二番目にもなれないのか、俺は。
夜空に無数に散らばる星の中のひとつ。
輝く一等星の影に隠れて、瞬きすら見えないほどの名もなき星でしかないのか。


カノンに背を向けているミロの表情は見えない。
ただ、きつく握られた拳が僅かに揺れている。

「お前は・・・俺にそれを突きつけるためだけに、氷河にあんなことをしたのか。」
「氷河には悪いがそういうことだ。自分の半分しか生きていない子ども相手に本気で欲情などするわけがなかろう。」
カノンの言葉が終わるや否や、ミロは鋭く振り向き、目にもとまらぬ速さでカノンの鳩尾に拳を入れた。
さすがのカノンも避ける暇はなかった。当たる瞬間に腹筋を締めて衝撃を和らげるのが精いっぱいだった。
くぐもった低い声を漏らし、膝をついて、息を吐く。
ミロの人差し指の爪先が紅く光って揺れたのがカノンの視界に入った刹那、膝をついたカノンをさらに跪かせるように、ミロの足が肩を上から押さえつけた。聖衣の硬い踵が、布地越しに肉を抉るようにめり込む。

「さぞかし滑稽だろうな?カノン。お前の言う『子ども』を本気で手に入れたいと願っている俺は?」

滑稽なんじゃない。
痛々しくて見ていられないんだ。
傷ついていても、傷ついたことすら自分でわかっていない様子のお前が。
お前は今怒りたいわけじゃないはずだ。
届かない片恋を認めて、泣きたい気持ちを、ただ怒りに変えてごまかしているだけだ。

俺がそうだった。

お前の存在は知られてはならないと言われた時も。
兄が聖衣を拝受した時も。
聖域には不要だと言われた時も。

傷ついた時はいつも怒っていた。
泣けばただの負け犬だ。
怒りは少なくとも自分を強く見せることができる。

でも・・・それだけだ。
傷ついた心はいつまでもそのままで、降り積もった痛みはやがてじわじわと心を黒く浸食していく。
お前の、明朗健やかな心ですら。



黙って項垂れているカノンに、ミロは踵で肩を押して、何とか言え、と見下ろした。

地に堕ちたプライドを快復させる方法は二つ。
もう一度、もとの位置へそれを戻すか。
それとも、別の誰かをさらに堕とすか。
絶対的位置を快復させられないなら、相対的位置を変えるしかない。

それは、人が本能的に自己を防御するために持っている自然な心の動き。
自分でそれとわからぬままに、ミロの裡でもその防衛反応は確実に働いた。

理性の力で制御しえないほどの黒い感情が激しく渦巻き、それは出口を求めてミロを内側から責め苛む。
怒り。嫉妬。羞恥。苛立ち。憎しみ。
自分が抱えている感情の名がわからない。

わかるのはただ。
カノン、お前を貶めてやりたい。
俺は憐れじゃないはずだ。少なくともお前よりは。


ミロの瞳が加虐の昏い光を宿したことにカノンは気づいた。

ほら。
お前はもう蝕まれはじめている。
神の化身と言われたサガですら、あの暗い闇には抗えなかった。


しばらくの沈黙の後、ミロは押さえつけていたカノンの肩を一度強く蹴って、背を向け、聖衣姿を解き始めた。
カノンが頭を上げようとすると、ミロは振り向きざまに、再び体重を乗せるようにカノンの肩を上から押さえた。
カノンが抵抗しないことに眉を顰め、真意を窺うようにじっと見下ろしていたミロだったが、やがて、ふん、と鼻を鳴らすと、ようやく足を地に戻し、完全に聖衣姿を解いてソファへと身を沈めた。

ミロは上体を深くソファへ倒して頭の後ろで腕を組み、足先で、床に膝をついたカノンの顎を上げさせた。
「いいザマだな、カノン。『子ども』一人手に入れられずに足掻いている男の前で這いつくばっている気分はどうだ。」
カノンを傷つけるつもりで嘲笑を浮かべて言った言葉は、だが、ミロ自身をも傷つけたのだろう。カノンが何も答えないうちからミロの表情が微かに強張った。
それはまるで、慣れない刃の扱いを持て余して、自らの手を血で染めて、なぜそうなったのかわからずに戸惑う子どものようだ。

「お前がこれで気が済むのなら、膝を地につけるくらいどうとうことはない。」
従順に答えたカノンの言葉はミロを満足させるばかりかますます苛立たせる。
斬りつけたのに平気な顔をされたら。
痛い顔でもすれば、刃を収めてもやれたのに、これではさらに振り上げずにはいられない。
「俺の気が済むまでつきあうつもりか?いいだろう。・・・氷河の代わりにしてもいいと言ってたな、カノン?『子ども』でないお前には遠慮はいらんだろう。覚悟を見せてもらおうか。今ここで。」
歪んだ嗤いを浮かべて、ミロはカノンの頬を唇を足の親指でなぞる。


・・・ああ、本当に見ていられない。
握るべき柄の場所も知らない刃をそんなふうに。
俺を傷つける前にお前が血まみれじゃないか。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた俺のプライドはこんな方法では少しも傷つかないというのに。
だが、刃を取り上げるにはまだ早い。
もう二度と触れたくない、と思えるほどに痛い目に合わないことには。


カノンは臣下の礼を尽くすように、恭しくミロの足の甲に口づけを落とした。
「では、女王陛下の御意のままに。」
一瞬、ミロの形の良い眉がピクリと動いた。
が、次の瞬間、カノンによって親指を口に含まれ、足先にもたらされた湿った熱に意識を捉えられた。
カノンの舌がミロの足の指を一本一本丁寧に舐めてゆく。
指の間の柔らかな皮膚をぞろりと舐め、指を口に含んで扱くように唇を往復させ、時折歯を立てて甘噛みする。
ありえない箇所への初めて受ける刺激に、くすぐったいような、もどかしいような、言葉にできない感覚がじわりと押し寄せる。
まるで愛撫のようにねっとりと絡みつく熱は、どこか甘さを含んでいて。
だが、ミロはそれらすべてを気づかぬふりでやりすごした。
こんなものが甘い行為であってなるものか。
お前は今、犬のように尻尾を振って俺に媚びているんだ。
見下ろしたその先に広がる光景が、僅かにミロに昏い悦びをもたらす。
氷河を手に入れられない俺は憐れかもしれないが、お前はその俺の愛を乞うて足元に跪いている。
かつては神をも誑かしたほどの男が見せる献身はミロの破壊衝動をようやく満足させ、だが、それと矛盾して、同じくらいの勢いを持って全く逆のベクトルに振れた。
もっと。
こんなものでは足らない。
無性に苛々する。
罰を―――何に対する罰なのか―――罰を与えないと気が済まない。
お前が傷つかないなら意味はない。
表情一つ変えず跪いている、その嫌味なほど整った顔を屈辱で歪ませてやらないことには。
跪くのが平気だと言うのなら。


尊大に背を反らせてカノンを見下ろしていたミロは、カノンに視線を定めたまま自分の下肢に手を伸ばし、ゆっくりと前を開いた。
ミロの動きに、カノンは顔を上げる。
視線が交錯した。
ミロは僅かな首の動きでカノンに、次の行為を命じる。
今度こそ躊躇するか、怯むか、それとも怒りを見せるかと構えていたが、カノンの瞳は、ただ、一瞬、緩やかな弧を描いただけであった。

カノンは膝立ちになり体勢を引き上げると、やはり何の抵抗もなく半ば勃ち上がりかけていたミロの雄を口に含んだ。
驚く間もなかった。
足指にもたらされた焦れったいほどの緩やかな刺激とは異なり、その直截的な刺激はあっという間にミロの欲を高めてゆく。
だが、身体の反応とは別に、ミロの裡にはますます黒い感情が滞留する。

なぜだ、カノン。
お前を無理矢理貶めてやりたいのに。
主導権を握っているのは俺のはずだ。
なのに、なぜ、こんなにも俺は苛立っているんだ。

カノンの舌が生き物のようにミロの充血した怒張の上を蠢く。
喉の奥まで塞がれて苦しくないはずはないのに、眉ひとつ動かさず強く吸い上げ激しくミロを追い上げる。
主を愉しませるわけでなく、最短の道筋を辿って頂へと強引に押し上げようとするその慰撫に、ミロはもうよせ、と思わず逃げたい衝動に駆られた。
このわけのわからない饗宴を始めたのは自分だ。
なのに、これでは、追い詰められているのは俺の方だ。
その手に乗るものか、なるべく長く苦しみをもたらしてやる、と与えられ続ける強い刺激に耐えていたが、カノンの追い込みは恐ろしく巧みだった。
若い性は瞬く間に追い詰められ、ミロは、ならば、とカノンの髪を強く掴んでその頭を自分の腰に押し付け、喉奥深くに限界まで高められた熱を放出させた。


だが、荒い息をついているのはミロの方だ。
「・・・・なぜだ。」

屈辱的なはずだ。
ずいぶん年下の男の足元に跪かされ、無理矢理奉仕させられ、あまつさえ口内に精を吐き出された。
普通ならプライドが許さない。
平然と、次はどうするんだ?と目で問いかけてくるお前は一体何なんだ。
これがお前の覚悟だとでも言いたいのか。

ミロは、己の血に濡れた刃を握って呆然とカノンを見下ろす。

カノンは口の端で笑って、ようやくミロの視線の高さまで立ち上がった。
「最後のはおイタが少々過ぎたな。」
カノンはミロの頭を両手で掴むと、唇を合わせた。
そして、舌で唇をこじ開けると、口内に残しておいたミロの精を唾液と共に流し入れた。
「――――っ!?」
ミロの頬が怒りと混乱で一気に紅潮する。
カノンの身体を圧し戻して吐き出そうとする動きを、カノンは腕と膝を使って封じた。
ミロによって易々と床へ這いつくばらされていたのが嘘のような馬鹿力で押さえこまれ、深く長く唇を合わせ続けられ、あまりの息苦しさに、ついにミロの喉がこくりと上下に動いた。

カノンはミロの頭を抱えたままゆっくりと離れた。
眼光鋭くカノンを睨むミロをいなすように肩をすくめる。
「そう怒るな。従順すぎてつまらん、という顔をしてただろう。お前の望みに従ってやったまでだ。」

ミロの頭に血が上る。
くそっ許すものか。お前を堕ちるところまで堕とさなければ気がすまない。

ミロはカノンの腕を掴み、床の上にその体を引き倒そうとした。が、逆に体重をかけられ、ソファの上へ上体を沈められ馬乗りになられる。
力もウエイトも僅かに勝るカノンにその姿勢を取られてしまっては抜け出すのは困難だった。
それでも、ミロも黄金聖闘士だ。片腕だけは逃れさせ、そのままカノンの首を掴もうとしたが、その腕は虚しく空を切り、再びカノンの腕に捉えられた。
「やめとけ。俺は実戦慣れしてる。怪我をするのはお前の方だ。」
カノンが実戦慣れしている、ということが、お前は実戦を多く経験していない、と逆説的に聞こえてミロはますます度を失った。
俺が、お前たちの背に隠れて戦場に出なかった臆病者だと、そう言いたいのか。
ギリッと奥歯を噛みしめるミロの表情の揺れに、ああ、とカノンは唸った。
「違う、ミロ。誰もそんなことは言ってないだろう。」
まるで心の中を見透かされたようなその言葉は、しかし、すっかり逆上せてしまっているミロの中には浸透していかない。
カノンはギシギシと骨が撓むほどの力で掴んでいたミロの腕を解放し、代わりにその身体ごと上腕を拘束するように背に腕をまわした。
まるで抱き締めるように。
「少し落ち着け。お前を傷つけたいわけじゃない。」
カノンの身体の下で、声も出せないほど激昂して荒い息をついて抵抗するミロの耳元で、カノンは、癇癪を起こしている子どもを宥める様に、何度も繰り返し、落ち着くんだと低く囁き続けた。


「ミロ。俺はこんな方法では傷つかない。俺を傷つけたいならやり方を教えてやるから、そんなに威嚇するな。無駄な力が入っていたら勝てるものも勝てんぞ。」

敵に塩を送らんとする、意外なカノンの言葉に、ミロの動きが弱まった。
カノンは相変わらず、宥める様に、背をゆっくりと撫でる。

「俺を傷つけたいのだろう?」

話の行きつく先が読めずに、ミロを支配していた激烈な破壊衝動は徐々に力を失い、代わりに困惑と、僅かに残った苛立ちがその場所を占める。
興奮のあまり浅く短くなっていた呼吸を沈め、何度か大きく息を吸い込む。ひとつ息を吸い込むたびに、滞留していた黒い熱はその温度を下げていった。


カノンは完全に抵抗が止んだミロの身体への拘束を僅かに緩め、今度は本当にその腕の中へ抱き締めた。
豊かな金の巻き毛の間を縫って、意外と小ぶりの頭を胸に押し付けるように撫でる。
「俺は大抵のことじゃ傷つかんのだ、ミロ。」
カノンの言葉を聞いているのかいないのか、腕の中におさまったミロは微動だにしない。
カノンはただ、その頭を撫で続けた。

「俺のアキレス腱は・・・お前も本当は知ってるだろう。サガだ。」
カノンの腕の中でミロの身体がピクリと僅かに反応した。
「俺を傷つけようと思うなら、お前はただ、サガを選べばいい。聖闘士としても人間としても劣っているだけではなく、男としてもお前はサガには到底敵わないのだと、そう言ってみせるだけでいい。同じ顔なら影より光を誰しも選ぶのだと。ただ、それだけだ。」


なぜ。
なぜそこまで曝け出す。
たった今、俺はお前に刃を突きつけていたのに、その俺になぜ、最も皮膚の薄い、やわらかな肉を差し出すような真似をするんだ。

・・・俺のせいなのか。
俺が、カノンにそれを言わせてしまった。
あまりに深手すぎて、聖域中で誰も触れないことが不文律となっているほどの傷口を、俺のせいで、自ら。

気分が悪くて吐きそうだ。

ミロは深く長い息を一つ吐いた。
身の裡を支配していた黒い熱は今しがた浴びせられた冷水によってすっかり冷えている。
ミロは、全てを諦めきったような瞳をして自分を抱くカノンの髪におずおずと手を伸ばし、それを梳くように撫でた。
「・・・もういい、カノン。」
首を振るミロに、カノンの瞳が優しく揺れた。
ミロは悪かった、と謝る代わりに、カノンの頬に手をやった。
聖衣で殴ったせいだろう。切れて血が滲んでいる。
親指の腹でそれを拭うと、カノンの手が伸びてきてその指先を掴んだ。そのまま手を引かれ、指先にそっと口づけを落とされる。
「ミロ、そろそろ、お前らしさを取り戻せ。」
「・・・俺らしさ?」
「何ものにも縛られない自由な魂、それがお前だ。しがらみも、複雑な過去も背負うべき業もない。殺意すら簡単に翻すことができる潔さを持ってるお前のことだ。氷河のことだって、いずれ執着を捨てることができる。」
もういい、とは言ったものの、何も氷河のことまでどうでもよくなったわけじゃない、と再び目を吊り上げかけたミロの頭を、カノンは苦笑して撫でた。
「ミロ。アンタレスまでの距離を知っているか。」
「・・・なに?」
「550光年だ。光速の動きができる俺たちですら、生きている間には辿り着けない、手の届かない遠い星だ。手が届かないのはお前のせいじゃない。あの星は遠くから眺めるからこそ美しい。近づきすぎると焼き尽くされて終わりだ。」
ミロの脳裡に赤々と発熱する蠍の心臓が浮かぶ。
想像の中ですら、その熱はミロを焦がし、だからこそ、その強い命の輝きに惹かれる。
「・・・俺の星に焼き尽くされるならそれでも構わんさ。」
「強情だな。」
「お前こそしつこい。拘ってるのも執着しているのも、お前だって同じだ。」
「まあそれは否定しない。仕方ない。俺の星はお前だからな。俺にとってはお前が唯一絶対の一等星だ。」

唯一絶対の一等星。

カノンの想いなど、何度も聞いたと言うのに、その言葉はミロの心を大きく揺り動かした。
手に入れたいとか、抱きたいとか。
駆け引きの中の言葉遊びなどではなく。

お前だけだ、と、はっきりと言葉にされることは甘美な歓びと何故か安堵をもたらし、と、同時に不意に気づいた。

得体の知れなかった黒い感情の正体。

ああ。
あれは紛れもなく嫉妬だった。

氷河とカノンの姿を見て、俺は嫉妬したのだ。

『俺の』氷河を抱いているカノンに嫉妬したのではない。

カノン。
お前は俺が好きなはずなのに。
俺を好きだと言っていたのは嘘だったのか。

氷河に、自分のものを盗られたような気分だったのだ。
カノンに裏切られたような気がして、それで、カノンを罰せずにはいられなかった・・・?


嘘だろ。
いつの間に。


カノンの身体の下でミロの身体が小刻みに震えはじめる。

声を殺して堪えていた笑いが、次第に引き攣れたようなものに変わり、最後は堪えきれない、というようにミロは笑いの発作を爆発させた。
一人でひとしきり笑い転げ、笑い過ぎだろう、と眉を顰めているカノンの髪をミロは引いた。頬に落ちた髪が意外と柔らかく、それがくすぐったくてまた笑う。

ミロは自分の中に発見した想いを確かめるように、カノンの背に手を回し、じっとその顔を見上げた。
人目を引く精悍な顔は、睫毛の先から眉間の皺まで、何一つとってもサガと瓜二つだ。
だが、どんな時も見間違えようがない。
ミロを見るカノンの瞳は、いつも、これ以上はないほど、真摯にその想いを告げていて。
知っていた。
俺はずっと、お前が本気だとわかっていた。
わかっていて、その瞳で見つめられる心地良さに浸っていたんだ。
俺は必要とされている、と。


「・・・カノン、俺の負けだ。」
不本意そうではあったが、彼らしくさっぱりとした潔さで白旗を上げたミロに、カノンは今更、というように苦笑した。
「やっと気づいたか?」
「調子に乗るな。まだ何も言ってないぞ。」
言われずとも。
柔らかくカノンの背に回す腕が。
照れたように逸らされる蒼い瞳が。
僅かに熱を帯びた肌が。
氷河に対してはあんなに好きだ好きだと言っているくせに、カノンの腕の中で、とてもわかりにくく主張されるそれは、しかし、カノンにとっては十分で。


「ミロ。」
カノンの声に含まれる熱がその温度を上げたことに気づき、ミロはハッとカノンを見上げた。
「ち、違う!俺はまだ氷河を諦めたわけじゃない。」
カノンは指の背でミロの頬を愛しげに撫で、そして、自信ありげな笑みを浮かべた。
「でも、俺のことも好きだろう。」
ミロはその問いには直接答えずに、お前、それでいいのか、と顔を歪ませた。
「いいもなにも。お前、自分で言ってなかったか。なんだったか・・・『カミュと三人で仲良く』?」
「・・・まあ、そうだが。」
「じゃ、何も問題はない。」
カノンが話はすんだ、とばかりにミロの首筋に口づけを落とすと、慌ててミロはその身体を押し戻した。
「ちょ、ちょっと待て、カノン!!」
「もう十分待った。」
「い、いや、そうかもしれないが、だったらもう少しだけ待て。」
「待てん。お前なら待てるのか?この状態で。」
待たない。
そりゃもう確実に待つわけない。
ずっと追いかけていた相手が、自分のことをほんの少しでも好きな素振りを見せたりしたら、強引に押し倒してでもモノにするに決まってる。
だが、だからと言って自分がそうされてもいいかというと、それは違う!我ながら自分勝手だが。
「とにかく無理でも待て。」
「じゃ5分だけ待ってやる。」
「そんなの待つって言わん!前にも言ったが俺にはそっちは無理だ。」
「あんなことまでさせておいて?」
・・・それを言われると痛い。
頭に血が上って、とにかくカノンを貶めてやりたい一心だったが、冷静になってみると自分の行動が痛すぎる。
「俺はまたお前に誘われているのかと思ったぞ。」
「違う。そういうつもりは全くなかった。」
「問題だな・・・そういうつもりはないのにあんなことをするのか?やっぱりお前は隙がありすぎる。俺以外にするなよ。」
「誰がするか!!お前相手だってホントはする気なんかなかったんだ!」
怯ませることができれば、それでよかったのに、勝手にどんどん行為を進めたのはカノンの方だ。
今だって、待つ、と言いながらカノンの手は既にミロの下肢に伸びている。
「さっきは、あっという間だったからな。今度はもう少し愉しませてやろう。」
『あっという間』と言われては、プライドが傷つく。
本当の俺はあんなんじゃない、見てろ、もう一度、と思ってしまうのは哀しい男の性だ。
「わかった。わかったけど、逆だ。お前させてくれるって言ってただろう。覚悟あるんだよな?な?そうしよう。」
カノンはミロを見返して、自分の頬をさすりながら笑った。
「そうしてやってもよかったが、フル装備で殴られた傷が痛むもんでな。今日はもうこれ以上の負担は無理だな。」
「そっ・・・それとこれとは話が違うだろうが!いい。じゃあ、お前の傷が治るまで待ってやろう。だからとにかく今日のところは」
「傷は治っても丸腰で殴られた心の傷の方はどうかな・・・」
「お前がそんなタマか!どけって!」
「5分経ったぞ。諦めろ。」
そんなこと言われても。
こっちはつい今しがた、自分の気持ちを理解したばかりだ。
とてもじゃないが受け入れがたい。
「カノン、頼む・・・。」
ならば、とプライドを捨てて、精いっぱい媚びて懇願してみたが、カノンはピクリとも表情を変えなかった。
「悪いが今日は引くつもりはない。時間が経てばお前は逃げるからな。」
「逃げない。逃げないと約束する。なんなら誓約書を書いてもいい。だからちょっと落ち着いて話し合いを」
「うるさいぞ、ミロ。そろそろ黙れ。」
カノンの唇が、必死に言葉を紡ぐミロの唇を塞いだ。
余裕なく重ねられたそれは、これ以上ないほどミロを求めていて、その熱には身体の芯が揺さぶられる。
「そんなに怖がるな。俺がお前を傷つけるような真似をすると思うか?」
重ねられた唇の上で低く囁かれる言葉は、やはり巧みにミロのプライドを刺激する。
・・・ああもう!
くそっ!こうなりゃ自棄だ!
「好きにしろ!下手だったら殺すからな!」
殺す、と不穏な言葉を投げつけたのに、カノンはとても幸せそうに子どものように笑み崩れて、うん、と答えた。

^

拍手
Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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