むかしむかし、冬のさなかのことでした。雪が、鳥の羽のように、ヒラヒラと天から降っているときに、ひとりの教皇さまが、黒檀の枠のはまった窓のところに座って、雪を眺めておいでになりました。教皇さまは、女神にかわって国を治める、大切な役目をなさっている方です。しかし、この国では、もう長いこと女神さまの顕れるきざしが見られません。教皇さまは、ご自身のしわがれた手をご覧になって、深くためいきをつきました。もう、ずいぶんとお年を召していたのです。
 もう一度、雪を眺めてから、すっと立ち上がろうとなさったとき、窓枠のとげで指先を刺してしまわれました。すると、雪のつもった中に、ポタポタポタと三滴の血が落ちました。まっ白い雪の中で、そのまっ赤な血の色は、鮮やかに美しく、そして不気味に見え、教皇さまはひとりで、こう呟かれました。
「いつか、わたしは、雪のように肌が白く、血のように赤く美しい瞳をもち、この黒檀の枠のように黒い髪をした子に出会うだろう」と。
 呟かれてから、教皇さまは、はっと我に返り、首を横に振られました。

 それから、すこし経ちまして、教皇さまのもとへ、ふたりの子供がつれられてまいりました。ふたりは、それはそれは美しい双子の兄弟でした。古いならわしの残るこの国では、双子は災いを呼ぶものとして、忌み嫌われておりました。流れついたすえに、困り果てた村人たちが、慈悲を求めて、教皇さまを頼ってきたのです。雪のように白い肌をした双子に、教皇さまは、一瞬ぎくりとなさいましたが、海のように深い青い瞳と、更紗のように流れ落ちる金の髪をご覧になって、ほっと息をおつきになりました。教皇さまは、ふたりを引き取り、未来の女神にお仕えするよう、教育を施すことといたしました。ひとりをサガ、もうひとりをカノン、と名づけました。
 双子は、負けず劣らず賢く、一を聞けば十を知る子供たちでした。しかし、双子が揃って表に出ることはできません。教皇さまは、ふたりを引き離し、壁で隔てられた別々の部屋で、お育てになることといたしました。サガには表の部屋を、カノンには裏の部屋を、お与えになりました。はじめは毎晩泣いていたふたりを、不憫にお思いになりましたが、教皇さまは、むかし、雪の日に見た幻が、頭から離れなかったのです。このまま双子を一緒にしておくのは、いやな予感がしてならなかったのでした。
 サガとカノンの部屋は、厚い壁で隔てられ、会うことは叶いません。その壁には、一枚の大きな鏡が、かけてありました。サガは、毎日、自分の部屋に戻ると、この鏡を眺めるのが、日課となっていました。鏡の中の自分の姿を見て、壁の向こうにいるカノンを、思い浮かべるのです。ある日、サガは、壁の向こうのカノンにいうように、鏡に話しかけました。
「サガよ、わたしになにかご用ですか」
 するとどうでしょう。鏡が言葉をしゃべったのです。サガは驚きましたが、すぐに落ち着きを取り戻しました。このお城では、不思議なことが、たくさん起こりました。サガが知らないうちに食事が用意されていたり、眠っている間に部屋が片づけられていたり、気づけばお湯が沸かされていたりするのです。そんな不思議なお城では、鏡がしゃべっても、なんのおかしいこともない。そうサガは合点をして、戯れになにか尋ねてみようと、思い立ちました。そういえば、むかし、カノンと読んだおとぎ話に、そんな話があったような気がしたのです。
「鏡よ、鏡。壁にかかっている鏡よ。この世で、一番美しいのは誰か」
 すると、鏡はこう答えました。
「サガよ、あなたが、一番美しい」
 サガは、とても喜びました。サガは確かに美しい子供でした。神より賜った最高傑作といっても良いくらいです。しかし、サガはそれで喜んだわけではありませんでした。鏡に映っているのは自分に違いないのですが、その姿は、壁の向こうのカノンと、そっくりなはずなのです。鏡を見ていると、そこにカノンがいるような気持ちになれました。この世で、たったふたりきりの兄弟です。カノンと分かたれた孤独さが募っていたサガは、話し相手ができたようで嬉しく、このお遊びを繰り返すようになりました。

 時が経ち、ふたりは十五の齢を迎えました。教皇さまは、とても厳しい方でした。サガは、教皇さまのいいつけを真面目に守り、勉強や訓練にも、文句ひとついわず、耐え抜きました。お国のために、いつかいらっしゃる女神をお迎えするために。また、兄である自分が模範となれば、弟のカノンも、表の世界に出してもらえる日が来るのではないか、と願っていたのです。鏡の中のサガの姿も、齢を重ねるごとに、大きくなってゆきました。清く、正しく、美しい姿。きっと、壁の向こうのカノンも、今の自分と同じ姿をしていることだろう。サガは、そう思っていました。
 青々と晴れた、ある春の日のことです。サガが、昼の鍛錬を終えて、部屋へ戻ろうとしていたとき、騒がしい笑い声と足音が、城下の方から聞こえてきました。不審に思ったサガが、音のした方を向くと、城壁を飛び越えて、ひとりの青年が、姿を現しました。サガは、その姿を見て、ハッとしました。粗雑に服を着崩し、金髪はバサバサに振り乱されてはおりましたが、雪のように白い肌、海のように深い青色の瞳、美しい顔立ちは、まぎれもなく、サガと瓜ふたつだったのです。サガは、思わず呼び止めました。
「カノン!」
 青年は、サガに気づき、はたと振り返りました。
「やあ、兄さんか。久しぶりだな」
 夢に見た再会でした。しかし、カノンの方は、ついぞ感動した様子もありません。サガには、聞くべきことが、たくさんありました。
「お前はなにをしているのだ。勝手に外に出てはいけないと、教皇さまがおっしゃっていただろう」
 カノンは、フンと鼻を鳴らして答えました。
「あのじいさんのいうことなぞ、聞いていられるか。それよりも、どうだい兄さん」
 カノンの手には、城下の売り物らしき林檎が、ふたつ、握られていました。
「いただいてきた。美味そうだろう」
 それは見事な林檎でした。カノンは、行儀悪く片方の林檎をかじり、もうひとつをサガに差し出しました。サガは受け取らず、かわりに、絞り出すようにいいました。
「支払いの金はどうした」
「おいてくるわけがあるまい。盗られる方が間抜けなのだ」
 サガの胸に、ずきんと痛みが走りました。
「カノン、わたしたちは、女神にお仕えする者として恥じぬように、清く正しく生きてゆかねばならぬのだぞ」
 カノンは、青い大きな瞳をぱちくりと瞬かせてから、意地の悪い顔をつくりました。
「兄さん、正直になったらどうだ。確かに兄さんは、心優しく真面目に、清く正しく育ってきたらしい。だが、俺たちは双子だ。会わずとも、兄さんのことならなんでもわかっている。兄さんの心に野心があることを、燻る悪が眠っていることもな」
 さらにカノンは、サガに囁きかけるのでした。
「女神などいるものか。教皇も老いぼれて先が短い。お前が国を治めるようになれば、俺も両手を振って日のもとを歩けるというものだ」
 それは、あってはならないことでした。盗みを働くことも、いいつけを破って外に出ることも、教皇さまを愚弄することも、女神がいないと口にすることも。
 サガは、はじめて、頭に血が上るのを感じました。じわりと、胸の奥に黒いものが染みだすのを感じました。
 サガは、喚くカノンを引きずって、お城のはずれにあるスニオン岬の岩牢に、閉じ込めてしまいました。神にしか破れないという牢で、もしも改心することができたら、命だけは助かるかもしれない。サガは、自分と同じ顔で悪を囁くカノンのことが、許せなかったのです。ですが、サガは、ひとつだけ、自分に嘘をついていました。サガの胸に抜けないくさびを打ち込んだのは、青空のもと走り回るカノンの姿が、快活で自由で、鏡の中で見てきたサガよりも、ずっと、ずっと、生き生きとして、美しく見えたことだったのです。それは、サガが生まれてはじめてついた嘘でした。
 サガがお城に戻ったときには、すっかり日が暮れていました。こんなに長くお城を留守にしたのは、はじめてでした。教皇さまは、きっとご心配なさっていることだろう。足早に部屋へ向かう途中、裏庭で、サガはばったり教皇さまと出くわしました。教皇さまは、サガが口を開くよりも前に、おっしゃいました。
「サガよ、カノンを知らないか」
 サガは息をのみました。そして、咄嗟に、いえ、と答えました。これが、ふたつ目の嘘でした。
「カノンは部屋から出られないのではないのですか」
 低い声で尋ねたサガに、教皇さまは、おっしゃいました。
「そのはずなのだが、あの困り者め。従者の目を盗んでは、たびたび外へ遊びにいっているようだ」
 けれども、そういう教皇さまの顔は、ちっとも困っているようには、見えないのです。サガは、胸にじわりと滲んだ黒いものが、さらに広がった気がいたしました。
「悪びれてはいるが、根は素直な良い子なのだ。サガも優しくしてあげておくれ」
 そして、サガが知る誰よりも厳格な教皇さまは、見たこともないやわらかいお顔で、微笑まれたのでした。
 プツリと、なにかが切れる音が聞こえました。

 その日の夜、サガは、まっ暗な部屋で、灯りもつけずに、鏡の前に立ち尽くしていました。カノンとの部屋を隔てる壁には、かわらず大きな鏡がありました。でも、壁の向こうには、もう、カノンはいないのです。鏡に向かって、サガは尋ねました。
「鏡よ、鏡。壁にかかっている鏡よ。この世で、一番美しいのは誰か」
 しかし、今日に限って、鏡はなにも答えません。
「鏡よ、鏡。壁にかかっている鏡よ。この世で、一番美しいのは誰か、いうのだ」
 サガは、もう一度尋ねました。やはり、鏡はなにも答えません。サガは、血で濡れた両手で鏡の枠を力いっぱいつかみ、中を覗き込んで叫びました。
「鏡よ! この世で、一番美しいのは誰か、答えろ!!」
 鏡の中には、雪のように白い肌、海のように深い青い瞳と、更紗のように流れ落ちる金の髪をした美しい青年が、こちらを向いて立っていました。サガは、二、三歩、よろめいて、あとずさりました。これは、自分ではない。直感がそう告げていました。
 思わず取り落とした教皇のマスクを深々とかぶり、サガは、聖剣の騎士シュラを呼びました。スニオン岬の岩牢を、確かめにゆかせたのです。シュラはすぐに帰ってきて、岩牢はもぬけのからで、誰ひとりいなかったと、報告いたしました。
 シュラを下がらせたあと、サガは自室の鏡の前に立ち、中の青年を睨みつけて、呟きました。
「カノンが生きているのならば、どうにか探し出して、殺してしまわなければならぬ。あれは、世のためにならない」
 鏡の中を覗き込むサガの姿は狂気を孕み、血走った瞳は血のように赤く、髪は黒檀のように黒くかわっていました。雪のように白い肌だけが、かわらず透き通っておりました。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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