The last one


「誕生日だと?」
 カノンは突然出てきた単語の意味が分からずに、大いに不審な顔をした。
「祝うのだそうだ。世間では」
 言われてみれば、今日だった。ミロの言葉に納得する。が、次の疑問が湧き出でて、カノンは不審顔をそのままに続けた。
「そういうこともするみたいだな。……お前が祝ってくれるわけか?」
「いらんと言うのならやめておく」
 素っ気なく返されると、それはそれで惜しいように感じる。しかし、至極もっともな疑問であるはずだと、カノンは思った。そもそもこの男にしても、そういうものに興味をもちそうには見えないのだ。
「いや、意外だと思っただけだ」
 驚いてはみたものの、もともとは切り替えの早い男である。すぐに、にやりと凶悪とも取れる意地悪い笑みをつくってミロの上体を引き寄せ、至近距離で囁いてやる。
「何をくれるんだ」
 ミロは別段動じる風でもない。扱いには、既になれている。
「いきなりそれか。即物的な男だな」
「気持ちだとか言葉だとか、形にならんものをもらっても仕方がないだろう」
 ふん、とつまらなそうな顔をしながらも反論しないあたり、ミロもどちらかというとそちら側の人間である。で、何が欲しいんだ、と聞きながらも、カノンが口を開く前に即座に断ずる。
「却下だ」
「……まだ何も言っていないぞ」
「邪な小宇宙を感じた。お前の考えていることなど、聞かんでもわかる」
 きっぱりと言い切るミロに、カノンは言い返せない、ようなことを結局は考えていたわけだが。それなら。と、今度はしばらく難しい顔をして考え込んでから、カノンはおもむろに口を開いた。
「蠍の赤い心臓が欲しい」
 先ほどとはうって変わって、冗談とも取れない真剣な顔つきで、ミロの目を見て言った。眦の上がった青い双眸が、少しだけ見開かれた。
「それは……、先ほど思い浮かべたものとは、別の方か」
「別の方だ」
 即座に答えた。ミロがカノンに与えなかった、最後のひとつ。
「アンタレス……」
 呟くように、ミロの口からこぼれる自身の星。
 欠けたひとつを欲してやまない。こんなにこいつが欲しいのは、きっと欠けているからに違いない。すべてその身に刻まれたら、手に入れた気になるのだろうか。
「やってもいいが…………死ぬぞ?」
 ミロは引き寄せられたままの姿勢で、僅かにできた隙間から差し入れた左の人差し指を、カノンのわき腹に押し付ける。言葉の最後を紡ぐ声には、熱の籠った愉悦の響きが含まれていた。
「本望だ」
 痛みも苦痛も死でさえも、こいつから与えられるものは何だって、俺を満たすに違いない。
 視線が間近で絡み合い、深海の碧に晴れた朝の海の光が差し込んでいく。青の奥に一瞬翻った紅は、カノンを強く惹きつける。
 この瞳に見詰められたまま死ねるなら、きっと思い残すことはない。
 しかし閃く赤は、次の瞬間遮られた。伏せた瞼をそのままに、ミロは突き付けていた指の力をゆっくりと抜いた。
「やめた」
 深い息を吐き出し、再び両目が開かれた時には、焔はなりを潜めていた。カノンは拡がる青い光に、安堵とともに、確かに失望をも覚える。
「やめるのか……」
 残念そうに掠れたカノンの声音が、捨てられた仔犬でも思わせたのだろうか。ミロは少し目を細め、口の端で笑ってみせた。
「そうがっかりするな。やらん、とは言っていない」
 それを与えることが慈悲だとでも言いたげな、慰める調子で続けられた。
「お前が死ぬときには、餞別代りにくれてやる。それまで楽しみに待っていろ」
 言葉遊びのような言い様に、カノンは諦めきれずに、未練がましく不満の声を漏らした。
「撃てば死ぬのだ。今だって違いはないだろう」
「それでもいいんだが」
 少しだけ逡巡するような表情をつくって視線を外した後、ミロはもう一度カノンの目の奥を覗き込んだ。
「お前が死んだら俺が困る」
 しっかりと視線を合わせたまま、両手を首に巻きつけて、近くなった顔の先で笑うように言った。
「お前といるのは悪くない。せいぜい長く生きて、俺を愉しませるのだな」
 答えを返すよりも、口唇を奪うよりも先に、抱きしめていた。
 カノンはかき抱いた頭を肩に押し付けるように力を込めた。自然、強くなった力は、体の髄から端々まで、拡がりいきわたる似合わぬ暖かさとくすぐったさを、たぶんごまかすために。
「お前と出会えてよかったな……」
 心の中で呟いたはずの言葉は、どうやら口から滑り落ちていたようで、当然ミロの耳にも届いていた。今度こそ声を上げて笑いながら、ミロは初めて祝福の言葉を口にした。
「そうだ。生まれてきてよかっただろう」
 形にならないものばかり。それでも、こいつからもらったものはいつだって、俺の中を満たすのだ。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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