第4章 Je t'embrasse(1)


 聖域は緩やかに日常を取り戻しつつあった。日常といっても、それは聖戦以前の状態に戻るという意味ではない。来たるべき戦いに向かい行く使命感と覚悟を抱きながら送る日々は、一刻の現在の積み重ねである。それは戦いの先にある平和への希望に裏打ちされたものであることに間違いはなかったが、誰しもが"平和"の具体的な形を、思い浮かべられていたわけではなかった。聖戦直後の混乱と、ある種の興奮状態が徐々に収まるにつれ、人々はようやく感じ始めていた。今日の続きに明日はあり、今の刻は未来へ繋がり得るものなのだと。変わらない日常が喜びと知る。日の出とともに始まり日没に終わると言えるほど、若い男どもの集まりが健康的に過ぎるわけもなかったが、朝起き、為すべきことを為し、終えた後に酒を酌み交わし、夜の床に就く。そこには、芽吹く若葉、艶やかな果実を育てるような充足感が満ちていた。これが平和ということなのだと、皆がその事実を実感していった。これは確かな変化である。
 聖域もまた、初めて迎えた新しい日常の中で、その姿を変えようとしていた。平和を勝ち取るものから、勝ち取った平和を維持するものへ。同一線上の事柄であるにも関わらず、実現のために求められることは驚くほど異なっている。数百、数千年に渡り、戦いをその存在意義の核と成していた聖域にとって、この変化は、ともすれば非常に困難な、苦しいものとなっていたかもしれなかった。しかし、そんな危惧など不要であるとでもいうように、速やかに滞りなく、次の時代に見合う形へと変化を受け入れていくことが出来たのは、当代の女神が、神としての威光と共に現代社会に適応する才覚を併せ持った現人神であったことが、一義的には大きかった。そして、偶然というか、それこそ必然というべきか、実際の聖域の有りようを主導する立場にあるサガが、戦闘に特化した集団の中においては、稀少で貴重な能力を有していたことも無視できない事実であった。
 始まりに大いに問題があったとはいえ、十三年もの間、歴史ある巨大な組織を曲がりなりにも牽引し、表面的には秩序を維持し、果たすべき責務を全うしてき得たのは――水面下での強硬なやり口は確かに目に見えない歪みを生んではいたものの――、類稀なサガのカリスマと支配力、総合すれば、組織運営能力によるところが大きかったと言えるだろう。
 もう一つ周囲を驚かせたことには、カノンの方もまた、そういったことに存外長けているということが、幾ばくもなく明らかになってきたのである。しかし考えてみれば、これは何ら不思議なことではなかった。人間の能力とは、生来の才能の上に、経験や努力といった後天的要素が加味されて形作られていくものである。もともとサガに匹敵する能力値を持って生まれてきた上に、サガによって度を越した弟教育が施されたことを考えれば、たとえ性格上あまりこの手のことには向いていないということを差し引いても、人並み以上の働きは約束されたようなものだった。更にいえば、その向いていないはずの性格を補って余りあるほどの経験値を、本人が進んで望んだことではないにしろ、カノン自身の選択によって積むことになっていたのだから。
 海皇さえも謀ろうとした地上支配の目論見は、壮大すぎて現実味を伴うものではなかったし、そもそも神の復活という不確定要素に左右されている以上、人間の意の及ぶ範囲などたかが知れていた。が、海界の運営自体は、具体的な方策なしには立ち行かず、場当たり的にはどうにもならないものである。海将軍筆頭として過ごした十三年間、これまた皮肉としか言いようがないのだが、同じであることをあれ程厭うた双子の兄が地上でしていることと同じようなことを、カノンは海の底ですることになっていたのだった。
 眠りから覚めた海皇の小宇宙を感じ、ほどなく集まり始めた海将軍らは、それでもまだほんの子供ばかりであった。降臨した女神と黄金聖闘士たちの幼さに嘆いていたサガと同じ思いを自らがすることになるとは、聖域にいた頃のカノンは想像だにしていなかっただろう。にもかかわらず、嘆きの深さゆえに自らの内に闇を滲ませていった兄と同じ道を歩まなかったのは、深く思い詰めることのないカノンの性分が、良い方向に――と言い切っていいものかは微妙なところだが――働いたのであって、海界が聖域に対抗しうる勢力として、文字通り水面下で力を蓄えることに成功したのは――これも大きな声では言えないが――、カノンの周到なようでいて大雑把な性格が、前向きな思考や強引ともいえる統率力と相まって、現状に絶妙に即する形で発揮された結果だったと言えよう。
 兎も角も。期せずして培われた双子の才能は、戦闘とは別の意味で、新しい時代における聖域の役割を確立していく上で、欠かせないものであることは確かだった。担うべき職務がサガの能力をもってしても余りあるものであり、補佐するに最も適した能力を有しているのがカノンである以上、本人たちの意思と希望がどこにあるかが考慮される余地はなく、結果として、この兄弟は、教皇の間で毎日顔を突き合わせることとなったのだった。
 そうなってしまったことに、もの言いたげな表情を示すのは、予想に反して主にサガの方であった。その表情の理由が、再び自分に次ぐ役割をカノンに負わせていることへの心咎めからなのか、自らその場所に甘んずるカノンの意を量りかねているせいなのか、はたまたそれ以外の想いを内包するものであるのか、カノンは敢えて真意を汲み取ろうとはしなかったし、サガもまた、口に出して何かを言うということはしなかった。一方で、自身が教皇代理として膨大な責務を負う以上、毎日双児宮からの長い途を延々上る時間的労も惜しく、衣食住を教皇の間にて行った方が効率的であるという主張を、サガは穏やかな口調ながら頑として譲ろうとはせず、それにカノンは異を唱える術を持たなかった。

 双子座の黄金聖衣と双児宮。
 そのことについて、サガとカノンの間で触れられることはなかった。不思議なことに、実際の年齢以上に聡く現実的で、それでいて慈愛に満ちた女神も、このことに関して、何も言おうとはしなかった。
 事実として、サガは教皇の間に留まり、カノンは双児宮へと帰り、双子座の黄金聖衣が聖戦後誰かに纏われる機会は、今のところまだ巡って来ていない。


『また来る』
 その言葉通り、カノンはことあるごとに天蠍宮を訪れた。
 教皇の間で一日の多くの時間を過ごすようになっていたために、カノンの朝は、まず九つの宮を跨ぐ石段を上ることから始まる。教皇の間へ向かう途上や双児宮への帰り際はもちろん、ギリシャ生まれの割にシエスタに対する感覚の薄いサガから半ば無理やりもぎ取る形で確保した休息時間を、天蠍宮への往復に費やすなど、日に多ければ数度、機会を見つけては天蠍宮を覗いてみたのだが、しかし、以来さっぱりとミロとは巡り合えないでいた。
 カノンとて、なにも行く度にミロと出会えるとは考えていなかった。落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ、聖戦後の黄金聖闘士は意外に多忙なのである。以前は最も重きを置かれていた宮の守護という役割が、平時の今は比較的比重を下げた代わりに、近隣から遠方まで広範囲に渡り、赴く必要のある任務の割合が増えていた。中核となる地が聖域であることに変わりはなかったが、一極に戦力と集中力が注がれていた頃と異なり、聖域が目を配らねばならない地域は確かに広がっていたのだ。自宮を不在にしている者の割合が多くなったように感じられるのが、その一端を表している。
 とはいえ、年中いないというのも、不自然だった。長期にわたり活動の場を遠方に移している者ならいざ知らず、聖域を拠点としている者たちに課せられる近郊の任務は、さほど長期間を要するものではない。長くて数日、ほとんどはその日のうちに、聖域に戻って来ているはずであることを、報告にくる聖闘士たちの出入りと、うんざりするほど山積みされる書類から、カノンは知っていた。同じ教皇の間に居ながらも執務室に隣接した小部屋に引き籠っていることの多いカノンは、帰還と首尾報告の場に居合わせることは少なかったが、帯びた特徴的な小宇宙から訪れる人物を同定できないほど、勘は鈍くない。それが想いを傾けている相手のことであれば、なおさらである。
 巡り合えない、というのは、だから語弊があるのだろう。気配はあるのだ。天蠍宮に足を踏み入れた瞬間、小宇宙の残香とでもいうのだろうか、つい先刻までそこにいたかのような名残を感じられることが、幾度もあった。しかし、ついぞ本体を目にすることは出来ない。それは陽炎というほどに不確かなものではなく、たとえるなら、猫の尾の先端が柱の角を曲がって消える瞬間が、ちらりと目の端をかすめたような、しかし追いかけてみても、どこにも目に捉えられないような感覚であった。
 考えてみれば、狭い聖域、しかも一本道で他に通る道のない十二宮内でのこと、意識せずともすれ違うことくらいあってもよさそうなものである。現に以前は、探そうとしなくてもその姿を見ることは出来たし、特に約束していたわけでもなく行き合って、飲みに誘われもしたものだった。つまりは、カノンがこれだけ探しているのにもかかわらず、全く会えないということは、ミロの方が意図して出くわさないように動いているんだろう、ということくらい、カノンがその頭脳を駆使しなくても容易に思い至るわけである。
 思い当たる節はあり過ぎるほどある。だが、矛盾するようではあるが、完全に避けられているというわけでもないように、カノン自身は感じていた。姿をくらませてはいるものの、あからさまに存在を絶つことはせず、ただするりするりとすり抜けていく。追えば逃げる。敏感に気配を察知して、薄目を開け面倒くさそうに昼寝の場所を移す、毛の長い、青い瞳の猫の姿が目に浮かぶ。カノンとしては、言葉を介さないそんなやり取りすらも、遠まわしに交わすコミュニケーションの一つのようで、密かに楽しんでいる自分を発見していた。追われる猫の方は、十中八九、いい迷惑だくらいに思っているのだろうが。

 今日の追いかけっこも時間切れだ。
 昼下がりのこんなやり取りも、もう数度に及んでいた。サガが動き出す前に、教皇の間に戻らねばならない。
 カノンがシエスタの時間をとるべきだと言い出したのは、自分の息が詰まるというよりも、放っておくと休むことを忘れがちなサガに、無理にでも休息を取らせるための方策であった。カノンにも少しばかり自由になる時間が出来たのは、そういった意図が全くなかったとは言わないが、目的というより結果として付随してきたものである。更に、二十八にもなって兄と並んで昼寝など勘弁して欲しいと述べたカノンの意見は、サガにも理解できることだったらしく、俺は別のところで休んでくると言って出かけていくカノンを、咎めることもなかった。かといってサガは弟に対して、口うるさくないわけでも、時間に厳しくないわけでもないのだ。
 だからこれは、定刻に上へ戻るまでの、時間限定の遊びみたいなものなのだ。
 太陽の恩恵を存分に受けたギリシャの、真っ直ぐに差し込む強い光を受けて、エンタシスの柱がくっきりとした陰影を石の床に刻む。光と影のコントラストで斜めに区切られた天蠍宮の入口から、カノンはもう一度ぐるりと誰もいない空間を見回した。
 宮の奥の構造が比較的複雑に入り組んでいるのに対し、入口と出口を繋ぐ通り道となる、いわゆる十二宮の構造は、至極単純ですっきりしている。太い円柱が並ぶ外周の一回り内側に建てられた、やや細い柱と壁で側面を閾られていることが、この何もない広い空間の孤立性を高めていた。
 旧居住区の方に気配はない。少し前までは一人酒を飲むのに良く使っていたようだが、いつの間にか撤収したらしく、薄暗い奥の回廊からは初夏の昼下がりとは思えない涼しい空気が漂ってくるだけだ。
 カノンは内周の柱を回り、側壁を背にして宮の外側へと足を踏み出した。太い柱を支えに、宮の基盤周囲に積み重ねられた大理石の平瓦の一つに足を掛けて、身を乗り出す。いくつもの平瓦と丸瓦で固められたすぐ下は切り立った崖となっており、丁度岩壁の端に宮がのっているような形だ。下から吹き上げてくる風は軽く、爽やかで心地良い。無風無動の隔絶感を維持する内部とは異なり、風に吹かれながら見る視界いっぱいの空の青と、光の反射で色合いの微妙な変化を見せる雲の白は、確かにここも外界に開かれた世界の一部なのだと感じさせた。高低差の大きい地形のこと、見渡せば、遠く下の十二宮、更に聖域の城下までも見ることが出来た。こうしてみると、岩と石の建造物で占められた間に混じる草木の緑や、水流の青が、意外に多いことに驚く。それは、ここもまた、戦いの場であったと同時に、人々が住まい生活する場所であったことを物語っていた。
 ミロが日本に行って不在の間に偶然見つけて以来、カノンはふと立ち寄ってはここから下の景色を眺めるようになっていた。気に入ったのに、はっきりと理由があるわけではない。ここがミロの宮だというのはあるだろうし、行き帰りの通り道でもあり、双児宮よりも高い位置にある天蠍宮は、見晴らしが良くて風も心地良かったというのもあるのだろう。そう思いつつもカノンは、随分昔にはこっそりと眺めていた双児宮からの景色が、今どのように目に映るのか、どんな風を帯びているのか、実のところ、よくは知らないのだった。日の高い時間にあまり双児宮にいることがないということもあるが、いや、やはりこれにも理由はない。ただなんとなく、そうしたい気がしなかっただけだ。
 ふと足元を見下ろす。岩壁の直下に、どこから来ているものか、幅の狭い石段が伸びているのが目に入った。色の違う石畳で舗装されたそれは、決して新しいものではなかったが、神話の時代から在る十二宮の建造物に比べれば、遥かに人工的な雰囲気があった。石段の続く先は小径になり、そのまま宮の裏手へと回り込んでいる。岩壁の反対側は小さな石が重ねられた背の低い壁で仕切られ、オレンジの樹だろうか、生い茂る緑の葉が上から覆いかぶさるように、小径に木陰を作っていた。アーチ形に並べられた石に何かの彫刻が施されている水道シンクが壁に埋め込まれているのが、遠くに見える。
 当然、ミロが本当にいないことだってあった。だが、カノンにとっては、実はどちらでもいいことだったりもする。
 天蠍宮とその周辺は、ミロの領域だ。ミロが在る時はもちろん、不在の時でも、確固たる存在感を示していた。サガやカノンがするように、次元を介して宮を守護するという意味ではない。もっと精神的な、しかし強いつながり、それは絆と呼べるようなものなのではないかとさえ思えるものだった。一朝一夕に築かれたものではなく、十数年に渡り、宮の守護者としての誇りと意識と、つまりは存在を、この場所に刻み付けてきた証なのだと思う。
 理由はないと言ったが、答えの一部は分かっている。カノンが度々天蠍宮に足を運ぶのは、もちろんミロ本人への思慕と、そこから生まれたこの場への愛着と、おそらく、二者の密接で強固なつながりへの、少しの憧憬があった。
 いてもいなくても、ミロは此処にいる。此処に来ればミロに会える。そんな気にさせる場所が、天蠍宮だった。
――だからといって。
 再び捕らえそこなった猫の幻を感じながら、カノンは木陰になった小径の続く先に、もう一度目をやる。
 いつまでも遊んでいるわけにもいくまい。
 風を切って踵を返し、カノンは人馬宮への石段に向かった。
 そろそろ本気を出して、捕まえに行くとするか。

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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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