I belong to you第2章 臆病なライオン(3)★視線に射竦められて止まった抵抗の隙を逃さず、カノンは器用に開いたズボンの隙間から手を差し入れた。迷わず下着の中を直接触れると、驚きと突然もたらされた刺激に息を呑むのが分かったが、構わず奥へ手を進め、形をなぞるように握り込んだ。 「なっ……!!」 ミロは思わず掴みかかっていた腕を支えに跳ね起きるも、当然上にはカノンの体がのしかかっている。腹筋に力を入れて押しのけようとするが、中途半端に上体を起こした姿勢では、思うように力が入らない。ならばと蹴り飛ばそうともがくにも、既に下肢の上には体重がかけられていて動かせない。右手は先ほどから拘束されている。唯一自由な左手で、狭い体の隙間から滑り込んでいる手の動きを止めたいのだが、覆いかぶさったカノンの体が邪魔をして届かない。どうすることもできずに、ただ与えられる刺激を享受するしかなかった。ミロが動揺している間にも着実に続けられている行為で、ミロ自身は早くも反応を始めていた。 「や、めろ」 何とかあげた抗議の声が、掠れて上ずったのがひどく情けなくて、ミロは思わず顔を歪める。 意思を無視して、早急に容赦なく昂ぶらされていく感覚に、身震いする。まさに急所を握られているという恐怖と、せり上がる快感から逃れるようにどうにか身をよじろうとするが、上に載った体はびくともせず、わずかに腰をうごめかすに留まった。申し訳程度のその動きは、しっかりと捕らえられている中心を逃れさせるには、ほとんど意味をなさなかった。 徐々に荒く乱された呼吸では、有効な抵抗は講じ得ず、いつしか捕らわれた右手は拘束するカノンの腕への抵抗を忘れ、掴みかかっていたはずの左手も、体を支えるためにしがみ付くものへと変わっていた。 右手に感じる昂ぶりに潤いが混じるのと、自らの下で紅潮した顔を伏せ息を荒げている様子に、ミロの興奮をカノンは確認する。曝け出された腹筋は、鍛えあげられた戦士の強靭さを示しているが、今はひくひくと痙攣し、与えられる快楽に耐えている。おそらく下肢に伝わりくる振動も、その証拠である。完全に勃ち上がったそれに、ミロ自身が流した液体を塗りつけるように、強くこすりあげてやると、声を上げそうになったのだろう、カノンに掴まっていた左手を放し、すんでのところで口を押さえる。支えを失ったミロの上体は、口と手の隙間から漏れる声を残してシーツの上に沈み込んだ。 それまで拘束していた右手を放しても、もう動かせることに気づいていないかのように、固く拳を握りしめたままなのを確認して、カノンは下に敷いたミロの体を解放する。 ふいに体が軽くなり、駆け上る衝動から解かれたことに刹那の安堵を覚え、ミロは大きく息を吐いて、強張らせていた体の緊張を緩める。が、次の瞬間。昂ぶっていた熱が突然外気に触れてそのひんやりとした冷たさに刺激されたのに、思わず下方に目をやるのと、下衣を引き下ろされて露わになった下肢の間の、熱の中心に顔を埋めるカノンを見るのが、同時だった。あっ、と言って起き上がろうとしたが、外気に冷やされた昂ぶりに熱い快感を得て、身をのけ反らせて寝台に逆戻りした。声を上げるのだけはどうにか耐えたが、敏感になった部分にまとわりつく粘膜と生き物のように絡み付く舌に翻弄され、一気に上り詰めていくのが分かる。下肢を肩に担ぎ上げられ、咥えられ追い上げられる。足の付け根に男の頭を挟み込んで悶えているであろう己の姿には、耐えがたい羞恥を感じるが、今は差し迫った吐精感を堪えることで精一杯だった。 ――このままいかされる、俄然現実味を帯びて込み上げてくるものに、今までにない焦りを感じた。そんな醜態をさらせるか。あいた右手で股間に埋まるカノンの後ろ頭に手をやるが、それは引き剥がそうというより、カノンの髪を縋るように握りしめる動きにしかならなかった。静止の声を上げたいが、口を開けば喘ぎ声にとってかわられそうで、ただ歯を食いしばる。体の芯をゆする悦楽に、確かに楽になりたいという欲求はあるのだが、それにも増してそれだけは嫌だと理性の部分が強く告げていた。 ここまで来ても分かっていなかったのだろう。男同士の行為が向かう先が何か、知らないわけではなかったが、自分がそういう羽目に陥るとは思ってもいなかった。分かっていたら、どうしても嫌だと思うなら、おそらくもっと先のことに対してのはずだからだ。 後ろに指を這わされても、それが何を意味するのか、悦に朦朧とした頭では、初めは理解できなかった。それが侵入を試みる動きだと知った時、閉じていた両目をカッと見開いて、嫌悪感に身を硬くする。誰にも触れられたことのないところを今まさに暴かれているという現実が、背筋を引き攣らせ、ただ通常は痛みしかもたらさないはずのそれを、紛らわすように前に与えられた刺激が、それ以外の感覚を引き起こしていることに、狼狽した。ミロにとってそれが幸か不幸か分からないが、先端を吸い上げられる快感に気が逸れて、きつく閉じられたそこへ指が食い入るのを許し、力を入れて阻もうとするのもまた、裏筋に施されるざらついた愛撫でもって弛緩する。感じているのが苦痛なのか快楽なのか、相反する二つの間で揺さぶられて、脳が焼けた。 もうどれくらいこうしているか、分からない。何時間も経っているような気もしたし、ほんの数分の様な気もする。ミロはいつの間に、どうやって自分が一糸も纏わぬ姿で寝台にうつ伏せに押し付けられることになったか、分かってはいなかったし、分かったからといって、どうすることもできないだろう。 どうしてこういうことになったのか、どこから間違ったのか、間違ったと言えば此処にカノンを通したのがいけなかったような気もするが、そもそもはそういう問題でもないような気がする。だいたい男と酒を飲んでいてまさか押し倒されるなんて思いやしない。そういえば以前に何か言われたような気もするが、だとしたらスカーレットニードルからいけなかったのか。いや流石にそれはないだろう。迫りくる違和感と快感に捕らわれないように、ミロは栓も無いことを考えてみた。有り体に言えば逃避していた。 傾いた月は窓枠から逸れ、残光が大きな窓より差し込んで、寝台の上に横たわる裸体を照らしている。自らの痴態を光に曝されているようで、その明かりの下から隠れたい衝動に駆られるが、再び押し寄せてきた愉楽を運ぶさざ波に絡め取られ、考えることを遮られる。 「……う…ぁ………」 顔を押し付けてシーツを掴み、殺しきれない声を上げて、波をやり過ごす。何度目の波か分からなかったが、確実に大きく、間隔も短くなってくるうねりに、飲み込まれそうになるのを、どうにか踏みとどまる。結局未だに一度も達しないまま、人に初めて触れられた箇所に加えられる刺激は、柔らかく時間をかけた手管で快楽と覚えられるまでに育っていた。かといって、それだけで達せられるほど、初めての行為に馴れきることができるはずもない。入口を押し広げるように動かされていた指が奥にいざなわれ、内奥の膨らみを刺激する。 「…ッ……!!」 急激に鼓動と呼吸が速くなり、出してしまったかのような錯覚に襲われる、が、終わらない快楽が、行為の持続を意味していた。張りつめた昂ぶりは、もう長いとこ触れられずに解放を待っている。大きな波になすすべなく揺り動かされ、もう駄目だと自我を手放すすんでのところでさざ波となって速やかに引いていく。あとには、解き放たれ損なった熱がむなしく震えていた。 もう限界だった。逃げ出したい。とにかくこのわけの分からないものを終わらせたい。 何から逃れようとしているのか。体の方も限界だというのは、もちろんある。だが、それだけのためだったら自らの矜持を放棄するようなことを、ミロは決してしないだろう。 逃げ出したいのは、何か得体のしれないもの、自らに降り注がれる未知のものから。自分に向けられるものを必死で振り払おうとしていた。これ以上、曝されるのは我慢の限界だった。今にも叫び声をあげて逃げ出したいのに、すでに腰は砕けてもはや下肢に力は入らない。上から上体をおさえられている今の状況から、力づくで逃げることはできそうにもなかった。 しかし、それよりもミロの身を竦ませているのは、時折宥めるように髪に添えられる手や、耳元で気遣うようにかけられる声や、ありえないところを和らげるように弄る指でさえ、優しさに満ちていることだった。 腰に触れてくるカノンの長い手指が新たな波を作ろうとしているのを察知して、大きく首を振って、ミロは叫んでいた。 「突っ込むのなら早く突っ込めばいいだろう!!」 なけなしのプライドを総動員して絞り出した言葉は、僅かに震えていた。 カノンは、瞬間目を見張る。シーツに突っ伏して発せられた言葉は、聞きようによっては我慢できずにねだっているようにも聞こえるが、本人の意図は違うところにあると、すぐに察する。ねだっているように聞こえ得るということこそ、分かってはいないだろう。 お前ほどの男が、犯されるという方を選ぶのか。 この状況から物理的に脱することが不可能ならば、せめて心だけは望んでいないと叫ぶ。 未知のものを恐れるのは、生物にとって重要な防衛本能だ。臆病さは危機を回避するために必須の感情であり、生存への欲求の裏返しである。 だが、お前がいま恐れているのは、恐れなくてもいいものだ。それが未知のものだと、分からないものだと、思う必要のないものだ。本来、誰しも自然に望み、欲し、得たいと願うものを、いつから諦めるようになった? それが分からないほどに、忘れてしまっているのなら、思い出させてやりたい。 カノンは背中から覆いかぶさり、固くシーツを握りしめている手背に手を添える。 とても、優しく、握り締められた。広い空間にぽつんと浮かんでいた体を包み込まれて、じんわりとした暖かさが身を覆う。抱かれている。そう感じる事実に、背中に密着したところから伝わってくる人のぬくもりに、何故だか安心を感じてしまうのを、ミロは必死で否定した。 屈辱も顧みずに、縋ろうとした逃げ道を塞がれる気がした。 わざわざそんな形式を踏まなくても、受け取る側の合意がなければ、まぎれもなく強姦になるのだが、ひたすら向けられる何かから逃れようとしているミロには気づく余裕もない。だいたい自分が何から逃げようとしているのかさえ、良く分かっていなかった。 カノンは、微かに震える髪越しに、耳に口を寄せて告げる。 「お前を抱くぞ」 びくりとミロの肩が戦慄く。髪がばらけて露わになったその肩から、首筋、耳の後ろへとゆっくり口付けを落とす。確かめるような、それでいて有無を言わさぬ声色。 「いいな」 いいか、とは言わない。拒絶の声をあげなければ、諾ととれる問いかけ。ミロは荒い息のもと肩を上下させながら、拒絶も承諾の声も上げられないまま固く奥歯を噛みしめていた。かけられる声があまりに切実で、そんな声を聞いたら決死の覚悟ですら覆されそうで、耳を塞いでしまいたいのに、シーツをつかむ両手には自分のものより少しだけ大きい手が重ねられていて叶わない。 「お前が欲しい」 一言一言言い聞かせるような、聞きまちがいでも、勘違いでもない。真摯な中にも切羽詰ったものが混じる。頭に顔を摺り寄せられ、耳に聞こえる息遣いがやけに大きく感じられた。 「ミロ、お前が好きなんだ」 最後の言葉は、切なげに乞うように囁かれた。 貫かれる瞬間は、今までと比べ物にならない圧迫感と質量をミロに伝えてきた。時間をかけてじっくり解されたそこは、望んだほどの苦痛を与えてはくれなくて、意思に反してその侵入を容易に許した。どうして苦痛を望んだのか、ミロにもはっきり理由は分かっていない。奥まで達し、一点を抉られて、上がった声の示すものはまぎれもなく快楽で、口を覆い耳を塞ぐための手も握り締められ、痛みも苦しさもなく優しい抱擁の中で囁かれながらする行為は、まるで――。これではまるで、愛を伝える行為じゃないか。 望んでしているわけではない。そうではないのに、全身のあらゆる感覚器官を開かれて、受け入れさせられているのは、圧倒的な熱量と溢れ出る何かで。激しいような、熱いような、それでいて暖かいような、穏やかなような。静かに染み入るようで、侵略するように力強く、体の髄を震わし、心臓を穿たれる。自分に向けられる、この感情の洪水は、なんだ? 自分の中にはない、いや覚えはあるような気はする。懐かしいような気もする。いや、やはりない。溺れて息ができなくなる。中てられて動けなくなる。この未知のものから逃れたい。もう、それだけでいい。 けれど、突き入れられる動きが速くなって、うねる波が押し寄せて、声も押し殺すことはできなかったし、この波には飲まれたくない、切に願った望みでさえ、中心にやわく絡まされた手で包み込まれて、無慈悲にあっさりと決壊していった。愛しげに繰り返される自分の名を聞きながら、おそらく、今まで感じたことのない強烈な快楽の波に飲み込まれ、一切の理性も放棄して、ただ溺れた。向けられた熱情と溢れ出る愛情に。 女神の慈愛に触れ、初めてその存在を知った。 その自分にも、伝えたい、与えたいと思う愛情があると、初めて気づいた。 心から何か欲する事と、欲されることを望むのは、表裏の関係だ。 伝えたいのは愛情で、呼び覚ましたいのは欲求。突き詰めればどちらも同じなのだ。 それが入口と出口。 四肢を投げ出し、脱力してシーツの上に突っ伏しているミロの姿を見て、多少の罪悪感がよぎる。間違いなく無理やりだったわけで、どう都合良く考えても望まれている行為だとは思い難い。かといって、やめられたか、というと、無理だった。望まれぬ行為でも、カノンにとっては確かに今伝えたいことで、深い眠りから引き起こすにはこれしかなかったのだと、言い訳する。伝わったのかどうかは、甚だ疑問なのが、痛いところである。 「ミロ」 呼びかけるが、微動だにしない。頭に手をやり、柔らかい髪を撫でてやるが、やはりピクリともしない。まさか泣いていたりはしないだろうな。心配になって覗き込むが、顔は量の多い髪とシーツに埋まって、見ることはできなかった。だいたいこいつは泣くようなタマではないし、嗚咽の声も肩の震えも認められないから、まあ大丈夫だろうとカノンは思おうとしたが、泣いていないからといって大丈夫と言えるかはかなり議論の余地があるところだろう。というか、はっきり言って、大丈夫なわけがない。 今の状況で逆効果、かもしれないが、カノンだってミロを傷つけたいわけではなかったし、たとえ自分が原因であったとしても傷つけたまま放っておきたくはない。相当身勝手な話である事は、よく分かっているのだが。 「ミロ」 もう一度声をかけてから、弛緩した体に手を伸ばす。触れられてびくりとしたが、激しい抵抗はかえって来なかった。カノンはミロの体を引き起こし、背中から抱き締める。ミロは意外なほど抵抗なく、されるがままにしていたが、顔は伏せて背けたままだ。噴き出た汗に体が冷えるのを防ぐようにミロの背中に胸を密着させ、剥き出しの肩に顔を寄せる。 「ミロ?」 返ってこない反応を、流石に不審に思って、横から顔を覗き込むようにすると、今度は無言で明らかに背けられた。自業自得とはいえ、少しばかり傷つく。 「ミロ、機嫌を直せ」 カノンは我ながらに間の抜けた声のかけ方だと思ったが、大丈夫かとも、悪かったとも、言えない気がしてそうなった。 「分かってくれ。お前を傷つけたいわけじゃないんだ」 やはり反応はない。カノンは抱く腕に力を込める。 「俺はお前が」 「分かっている!!」 突然の激しい反応にカノンは目を剥く。見ると厚い髪の陰からはっきりと目を開いて、眉根を寄せているミロの横顔が垣間見えた。が、その顔は。 すぐさまふいと背けられた顔をもう一度見たくて、カノンは追いかける、のを察したのか、ミロはカノンの腕を振り解こうとするが、失敗して逆に強い力で抱きすくめられる。逃れることが叶わないと知るや、片手で顔を覆い、隠す。カノンがもう一度何かを言おうとするのを遮るように、首を振って制する。沈黙の中で、絞り出すように言った。 「分かっている! だから、もう、言うな……!!」 おそらく今のミロの最大の意思の力を結集した、心の底からの声なのだろうと思う。 緩んだ力の隙にミロはカノンの腕を脱する。今度はカノンも止めようとはしなった。僅かによろけながらも、石畳に素足をのせてカノンに背を向けたまま言った。 「……風呂に入る。出てくるまでに、消えていろ」 抑揚のない、努めて冷たい声で言い放つ。 返事を待たずに隣室へ消えた後ろ姿は、たぶん体が軋むのだろう、二、三度よろめきはしたが、背筋を伸ばして上を向いていた。 おそらく、伝わってはいる。カノンがミロに抱き、向けているものは。受け入れられるかは、また別問題だろうが。 カノンは力を失っていないミロの後ろ姿に、思った以上に安堵している自分に驚いていた。覚悟はしていた。が、ミロに厭われること、それ以上にミロを傷つけることを恐れていたのだということを、自覚せざるを得なかった。あとはなるようになるか。自分のことは、まあいいのだ。せめてミロが、彼らしい強い瞳を取り戻してくれればいいと、カノンは思って一人笑った。 俺はなんて顔をしているんだ。 ミロはうっかり目に入れてしまった浴室の鏡に映った自分の顔から、思わず目を逸らした。熱に中てられて浮かされたのか、引かない顔の紅潮と微妙に潤んだ瞳が、とても自分のものとは思えなくて、籠った熱を冷やすように、冷水を頭から浴びて、行為の痕と共に洗い流した。 戻った時には、そこに人影はなかった。散らばっていたグラスや酒瓶は一所にまとめられ、繰り広げられた争いの跡は片付けられていたが、漂う空気がどことなく行為の余韻を帯びている。振り払うように湿ったシーツを引き剥がし、ミロは石の寝台に直接身を伏した。 ひどく疲れた。冷たい石の感触が、体の熱を奪い冷やしていくのに、芯にくすぶった熱は消えてくれず、かえってそれを意識させる。 体は間違いなく疲れているはずなのに、やけに目が冴える。無理やり目を閉じて、長い息を吐き出した。 天蠍宮の窓から、月はもう見えなくなっていた。 |
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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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