I belong to you第4章 Je t'embrasse(7)★シーツを剥ぎ取られ、間を遮るものがなくなったことに不安を覚えたのか、ぶるりと身震いしたミロを温めるように、カノンは体を寄り添わせた。湿った口唇に名残りを残しつつ、頬へ、そして首筋へと接吻を移す。下顎と首筋の境界を辿り、耳の後ろに舌を這わすと、ふ、とミロの口から微かな吐息が漏れるのが聞こえた。耳たぶに軽く歯を立てたのを非難するように、髪を梳き差し込まれたミロの手が、ぐいと後ろ髪を引く。構わず続けるカノンに絆されたのか、いつしかささやかな抵抗を諦めた手は、項の後ろに添えられていた。ミロの頭を豊かな髪ごと腕の中に閉じ込め、もう片方の手で乱れたシャツのボタンを外していく。その手がベルトに掛かる段になって、ようやく伸びてきた腕が、それを遮った。 「なんだ。怖気づいたか?」 緊張をほぐすために、故意にからかうような言い方をしたカノンを、ミロは横目で睨む。うっすらと目元を上気させてはいたが、思いの外落ち着いた様子で、上に乗っていたカノンを押しのけた。 「自分でやる」 カノンの体の下から逃れたミロはベッドに腰を掛け、はだけたシャツを床へと投げ捨てた。ベルトに手をかけ前を緩めたところで、ベッドの上で膝立ちのまま、ぼうっとその様子を眺めていたカノンの視線に気づき、ぴたりと動きを止める。剣呑な顔で振り返るが、合った視線を避けるように、すぐに背を向けた。 「お前も脱げ」 告げる背中はぴんと張られ、自らを鼓舞しているようでもあった。 衣服を脱ぎ去り、全裸で向かい合う。室内光を裸体に浴びて立ち尽くす二人の間には、お互いを覆い隠し得るものは何もない。一度途切れた勢いが、これからしようとする行為を、改めて意識させ、緊張を呼んだ。 そこにあるのは、戦士の肉体だった。整った造形の顔立ちを支える隆とした体躯、幅の広い肩、厚い胸板と割れた腹筋は引き締まり、しなやかな曲線を描いている。日に焼けた肌が、服に隠れる部分だけ僅かにその色を変えるのが、妙に艶めかしく、カノンには感じられた。この肉体を、その魂と同じに、美しいと思う。筋肉の付き具合がはっきりと分かる腕に連なる指先から、あの赤い光が放たれるのだと思うと、治ったはずの十四の針痕が、俄かに疼いた。 ミロの瞳は、俯き加減に伏せられた長い睫毛に隠されてしまい、見ることが出来ない。感情を押し殺した堅い表情からは、その内面を窺い知ることも出来なかった。確固たる意思がそこにはあって、容易に踏み入ることは憚られた。生まれた時から自らの生きる道に迷いを持たず、真っ直ぐに歩いてきた、凛として誇り高い黄金の蠍座。その男が今、カノンの前に、自らの意思で、生まれたままの姿を露わにして、立っている。 指先が頬に触れ、首筋を伝い、髪を撫ぜ、項に回る。抱き寄せる所作は、鍛え抜かれた体を持つ男にするにしては、ひどく慎重に、まるでガラス細工を取り扱うかのような繊細さを持っていた。合わせた額に引かれた顎が上がり、近づいた口唇を静かに重ね、もう一度吐息を交わし合う。カノンに身を委ねながら、ぎこちなく返してくる抱擁が、ミロもまた緊張しているのだということを伝えてきて、カノンの中に、一層の愛しさを膨らませた。一片の後悔も苦痛も、感じさせたくない。抱く力を強くすれば、ミロが腕の中で身じろぎをするのが分かった。 ミロに触れるカノンの手は熱を帯び、感触を確かめるように肌の上を辿っていく。腹を撫でてから胸に触れ、再び戻って臍の周囲を弄る。最初は軽く、徐々に大きく大胆に、だがどこか探るようにおそるおそると。その動きは、ミロの体に一部たりとも触れずにおく部分があってなるものかと、言っているかのようでもある。 ベッドに沈められ、ただ施されることに馴れていないミロは、手だけではない、口唇も、吐息も、髪先も、視線の行方でさえも、カノンが触れていった部分が、それと分かるような熱を生み出していくのに、驚きと僅かな焦りを感じ始めていた。吐き出す息が、既に熱い。脇腹から背中へと滑っていた手が、下腹部を経て更に下へ動いていこうとするのを察し、制止しようとした声は、その役目を果たすことなく飲み込まれた。 「………っ……」 次の瞬間訪れた衝撃に、思わずミロは、息を詰めた。しかしそれ以上に、カノンに触れられた中心が、火をくべられたかのように、急激にその温度を上げていくことに、意識が奪われた。大腿の内側とを往復する手がそこを掠める度に、運ばれた熱が兆しを育てる。上下に擦られ、先端の敏感な部分を捏ねるように親指で撫ぜられたかと思えば、根元に達した掌で、双球を柔く転がされながら裏をくすぐられて、体が泡立つ。伸ばされた指が器用に裏筋を捉え、与え得る悦楽を余さず引き出そうとしていた。 どうしてこう、余計なまでに巧みなのだと、言いたくもなるが、声になってはくれない。全く乱れずに事が終えられるとは、思っていなかった。だが、出来ることならば、平静に理性を保ったままで受け入れたい。されるがままに運ばれるのは嫌だと思うのに、カノンは構わずミロをその淵へと追いやろうとする。興奮を気取られまいと自分を押さえ込んでみるものの、上ずっていく息をどうにも抑えることが出来なかった。 つと、門渡りをカノンの長い指先がなぞり、ぞくりとした感覚が背筋を駆け抜けた。狭間に差し入れられた手が固く閉じたその場所の縁に触れる。――来たか。ミロは、興奮によるものとは違う汗が噴き出すのを感じた。何もかも訳が分からず押し流された前回とは違う。今はこの先の行為が、どんなものか知っている。 触れるか触れないかの微妙な強さで、カノンの指先は入口をなぞっていった。しびれるような、こそばゆい感覚が、じんわりと広がる。それが中を解す意図を持った動きだということに気づくのに、時間はかからなかった。触れられているそこが、勝手にひくつくのに動揺して、無意識に足を閉じ腰を浮かせて逃げようとするが、刺激を作り出す指はいとも容易く追いかけてくる。それはそうだ。狭間を掌で捕らえられていれば、そんな抵抗などないに等しい。膝を閉じてもカノンの手を股に挟み込むことにしかならない。 するりとミロの下半身に回り込んだカノンは、己の体を下肢の間に割り込ませ、左右に大きく開かせた。腰を浮かせたミロの動きを利用して、膝を折り曲げて立たせる。カノンにしてみれば、自分がやりやすいようにしただけなのだが、された方としては堪ったものではない。取らされた体勢の意図を察知して、ミロはそれまで背けていた顔に驚愕の色を映した。思わず下を見やったところで、自らの下肢の間から、見上げるカノンと目が合って、しまった。停止した思考の次には、羞恥で目の前が真っ赤に染まる。 屹立した自身と、その奥の、秘められているはずのあらゆる部分を、隠すものなく、一人の男の目の前に晒している事実。しかもあろうことか、その中心には、いつの間にか自らがほとばしらせた液体が、雫を作って光っている。 自然、開いた下肢に力が入り、筋肉に痙攣のような震えが広がる。唐突に逃げ出したい衝動に駆られるのを押しとどめたのは、見上げてくるカノンに向けた、せめてもの矜持だった。無様な真似は晒すまい。受け入れると決めた。途中で翻すなど。何かを言いかけた口から言葉が出ることはなく、大きく見開かれた青い瞳は、数秒動揺を鎮めるように空に揺れ、ぐっと瞑られた。 顔が紅潮し、呼吸が荒くなってきているのがミロ自身にも嫌というほど分かった。吐き出す息の合間に抑えた嬌声が混じり、その数が否応なく増していく。 「は、っ、……、く…」 浅い部分で繰り返される侵入と引き抜かれる指の動きは、いつしか痛みを心地よさに変え、さらにそれを通り越して、堪らない、得も言われぬ切迫感を呼び起こしていた。中を押し広げようと螺旋を描きながら奥へと誘われ、一番感じる部分に達する前に引き、縁をそっとなぞられる。違和感がむず痒さになり、委縮して不自然に締められていた下半身の力が、強制的に解かれていくのとは逆に、それに抵抗しようとする意思は、シーツを握りしめた拳と、噛みしめられた奥歯の力をより強くする。 自分の姿を想像すると、とても目を開けられない。だが、瞑っていたからといって、カノンの前に投げ出された己の姿が消えるわけでもない。カノンの目から隠れたい。せめて、こんな顔など見られたくない。しかし腕で顔を隠すのも女々しいと思うプライドが、それすら許さない。 これは過程だ。本来ならもう終わっていてもいいはずなのに。興奮は既に極値を超えていたし、あと一押しあれば、簡単に達することはできるだろう。だが、今は、受け入れる相手のいる今は、それでは終われないのだ。 「……、ぅ、ああぁ!」 ミロの内側を蠢く複数の指の動きは唐突に、大きくその動きを変えて深さを増す。身構える暇も与えられず、最奥にぐっと込められた力に、背筋が反射的にのけぞった。振り乱された長い髪が汗ばんだ素肌を打つ。ミロは必死に逃れようとする本能のままに、固定された下肢を残して上体を捩り、シーツに縋りついていた。もはや堪えきれない、ひと際大きな声が、突っ伏した顔とシーツの波間の間に閉じ込められて、くぐもった響きを上げた。 初めは無表情に強張っていたミロの顔が、きつく閉じられた体が解かれてくるにつれて、徐々に感情を表すようになる。カノンの視線にミロが気づいていたら、悪趣味だと罵られもしようが、目を閉じ横を向いて、与えられる快感と戦っているミロが、カノンの様子を知ることはなかった。 ミロがどういったつもりで、この行為に及んでいるのか正確には分からない。見えていたほど酔ってはいないことも、体の反応から知れていた。眉を顰め、上気させた顔に苦悶の表情を浮かべ、必死に刺激に耐えている様は、禁欲的であると同時に扇情的でもあり、プライドの高い男が、そうまでしてカノンを受け入れようとしていることに、感動ともいえる高鳴りが、内側からせり上がってくるのをカノンは感じていた。 我を忘れるほどに感じてくれれば、もう少し楽になれるものを。手放すまいとしている理性が邪魔をして、それがかえってミロを追い詰めている。 徐々に和らげたといっても、まだ痛みなく挿入できるほどには拡がっていないそこを、確かめるように触れたカノンの指に弾かれて、シーツに顔を押し付けていたミロが、挑むように叫んだ。 「やるならさっさとやれ! その気がないなら終わらせろ!!」 同じように掠れた声で絞り出したミロの台詞に、カノンは聞き覚えがあった。どこか既視感のあるそれだが、あの時と今日とでは指し示す意味は違っている。肩越しに睨み付けてくるミロの眉の間には、くっきりとした皺が寄せられているが、潤んだ瞳と吐く息の熱さが、興奮を伝えてきた。 カノンは体をずらし、抱え込むようにミロの上に覆いかぶさった。明かりが遮られ、暴かれていた己の体が隠されたことにほっとする一方で、突然目の前に近づいてきたカノンの顔に、ミロはぎょっとした顔を作る。カノンは、宥めるように、汗で張り付いた髪を払って、ミロの額を撫でた。 「もう少し我慢してくれないか。今のままではまだつらいんだ」 節くれだってはいるが、長くて美しい指先は濡れていて、それが、つい先程まで、自分の内側を蹂躙していたものだということを、ミロに殊更意識させた。ミロはカッと全身の血液が沸騰するのを感じ、渦巻く苛立ちをカノンに叩きつけた。 「うるさい! お前の都合など知ったことか!」 興奮が乗じて殺気すらみなぎらせているミロの鋭い眼力も、状況が状況なだけに迫力に欠ける。気が立っているのも無理はない。相当限界が来ているのは、一目見ただけで分かる。激しいまでの感情を宿す瞳とは裏腹に、屹立したそこは涙を流して震えている。 「ぁ、ッ……!!、おまえっ」 突然もたらされた刺激に、ミロは身を竦めて思わずカノンの肩を掴み寄せた。軽く握り込んだだけでこれだ。ミロの先端から液体が溢れ出すのを、カノンは触れた指先で感じた。羞恥に肩を震わせながらも、動こうとしない、いや、動けないのは、僅かな摩擦でも容易に射精してしまうことを恐れてのことに違いなかった。それほど限界なのだ。 「抜いて終わらせるか?」 言ったカノンに他意はなかった。突っ込むばかりがセックスではない。抜いてやって、自分も抜いて。まあ、ミロがカノンにそれをしてくれるかどうかは、かなり望み薄い気もするが。 何のつもりかは分からないが、ミロがプライドを折ってまで、カノンを受け入れようとしてくれていることは、事実なのだ。それだけでも、十分満たされた気持ちになる。受け入れることに馴れていない体は、もう少し我慢を必要とする。そしてできれば、カノンはミロに、あまりつらい思いをさせたくない。 だが、ミロの反応は、カノンの期待したものとは真逆に振り切れた。瞠った目が、見る間に屈辱に歪むのをみて、カノンは自分が失敗したのだと知った。 「馬鹿に、するな!」 「違う、ミロ」 カノンが先の言葉を継ぐより早く、ミロはカノンの手を振り払った。が、この体勢ではミロの方が初めから圧倒的に不利である。カノンは、蹴り上げてくる足を避け、突き飛ばそうと伸びてきた腕を逆に捉えて顔の両脇に押し付けた。完全にベッドに押さえ込まれても、ミロは全力で抗うことをやめようとしない。 「俺を見くびるなよ。勝手に一人で分かった気でいるくらいなら、初めから俺を巻き込むな!」 「お前を侮っているわけでは決してない! お前に無理をさせたくないだけだ」 落ち着かせようと言い募るカノンの声が耳に障る。手も足も出ないのも悔しくてならない。何よりこの、分かったようでいて何も分かっていない男に、無性に腹が立つ。 内にあったものを吐き出すように、ミロは怒鳴っていた。 「俺は! ただ一方的に揺り動かされるのは嫌だと言っているんだ。何故それが分からない!!」 自分だけが与えられ、大切にされたいわけではない。ミロがこの行為に臨んだ理由も、激昂して度を失った原因も、どちらもカノンだからに他ならないのに。 激情を乗せたミロの青い瞳はカノンを見据え、内に抱く様々な感情を語る。言葉よりも自由に、表面を透過して精錬された核だけを差し出す。 誰よりも、どんな宝石よりも、この青い瞳に魅入られている。 カノンの中に、そんな場違いな感慨が湧き起こった。何度も目を奪われてきた。そして心は、とうに捕らえられている。見る度に思い出すのだ。この強さと激しさの奥に、あの深さと優しさが、秘められていることを。 願わくば、この視線に貫かれて死にたい。 俺は、これを、愛している。 「一方的じゃない」 苛烈さを放つミロとは対照的に、カノンの声は穏やかだった。 「俺はお前に揺さぶられ続けている。初めて対峙した、あの夜から」 事実を。本心を曝け出すのは、いつもカノンの方なのだ。 「ミロ、お前から与えられるどんな痛みも快楽だ。だが、お前の感じる痛みには耐えられん。お前にとって苦痛なことを強いたいわけではない」 ミロの青い瞳に照らされた時、カノンの碧い瞳は切実にどこまでも真摯に、飾るもののない真実を訴える。 青と碧の交錯する視線が伝え合うものは、運命が交差した一瞬の邂逅の時とも、月の光に照らされて交わった夜とも、同じようでいて違い、流れ、移ろい、こらからもきっと変わり続ける。だから今も、今だけの想いを伝えるのだ。 「……俺を抱きたいんじゃないのか」 不思議とその碧に諭されて、鎮められたミロの青の瞳が、どことなく不安そうに揺れてカノンを見上げてきた。 ミロの方も本当は分かっていない。どれ程大きなのものを、自分がカノンに与えたのか。 すれ違いながら、触れ合っている。彼らはこれで、いいのかもしれない。 カノンは捉えていた手首を放し、両手でミロの顔を包み込むように柔らかく、頬に触れる。 「お前を抱きたい」 カノンの碧眼が、緩やかな弧を描く。内に灯ったものは、情欲の炎であったかもしれないけれど、ミロにはもっと、優しく燃えているように思われた。 「触れたい。キスしたい。繋がりたい」 額を合わせ、鼻頭をすりつけて、愛しげに囁く。触れそうな口唇から、漏れる吐息が熱い。 「だが全て、お前の許しがあってこそだ」 何度口唇で触れ、肌を重ねても、まだ遠い。繋がりたいと願うのは、なにも体ばかりではない。 密着した体が互いの鼓動を伝える。ほとんど動いていないはずのカノンの心臓はミロと同じくらい、それ以上に速く拍動を刻み、戦闘のどんな苦境でも乱されない息は浅く、荒い。額を流れた汗が形の良い顎から、ぽとりとミロの首筋に落ちた。合わさった下半身に触れ合うものから上りくる熱は、忘れかけていた情熱を再び呼び覚ましていった。 カノンの火照った肌を感じ、低くて懐かしい声と息遣いを聞いていると、昂揚していく体とは別に、ミロの心は閑やか決まっていった。 ミロは、差し出した腕を、ゆっくりとカノンの首に回した。 「ミロ?」 「何も言うな」 いくら言葉を尽くしても分かるまい。口に出した途端に、それは違うものに変わる。ミロ自身にも、自分の中に生まれたものを説明することは出来ないのだ。 女のように喘がされて、快楽に溺れた姿を見せるのは我慢ならない。でも、それを凌ぐものがあるから。超える何かがなければ、初めから指一本、触れさせやしないのだ。 ミロは引き攣れたつま先をほぐすために、二、三度足首を返した。それから、引き寄せるように、両脚をカノンの腰に絡ませた。カノンが驚いて身を引こうとするのを許さず、交差させた下肢に力を込める。深く吸い込んだ息が覚悟を促す。長く息を吐き出してから、ミロはカノンの肩に額を押し付けて、耳元で、ただ一人にだけ聞こえる声で言った。 「許す」 その時のカノンの顔が見られなかったことを、ミロは惜しいと思った。けれど、お互い様だ。自分がどんな顔をしていたか、カノンに見せてやるわけにはいかないのだから。 十二の数字で止まっていた時計の針が、同時に新たな時を刻み始めるように、ミロの言葉の意味を受け止めたカノンは、すぐに動き出した。大腿の裏側に当てた手で、下肢がぐいと折り曲げられる。双丘を開かれて、宛がわれた昂ぶりに身を強張らせたのも、一瞬のことだった。 まだ十分解し切らないそこに迎え入れる痛みは想像以上のもので、衝撃に呼吸を奪われ、内側からせり上がる圧迫感に、ミロは声にならない嗚咽を漏らした。込み上げてくる嘔気に、じっとりと嫌な汗が滲み出る。 「…、はっ………」 苦痛を和らげようと息を吐くが、上手くいかない。かといって、深く吸うこともままならない。文字通り視界が真っ暗になり、目の裏にちかちかと光が灯って消え、墜ちる、そう思った瞬間、ぐいと強い力で抱き寄せられ、ミロは現へと引き戻された。 「ミロ、力を抜け」 目の前にあるカノンの顔は、瞳に膜を張った水分のせいで、ぼやけていた。カノンの指がミロの目元を拭い、労るように髪を撫ぜる。輪郭を結んで初めて、ミロはその端正な顔が、痛みに耐えるように、苦しげに歪んでいるのを知った。 「一人で耐えようとするな」 きつく締められたそこへの侵入は、カノンにもつらいものに違いなかった。だが、何度も繰り返しミロの髪を撫で、背中を擦るカノンからは、自身の苦痛に頓着している様子は少しも感じられず、ミロの痛みを思い、共に痛いとでも言っているかのようで。 ミロは不思議と、それまでの引き裂かれんばかりの痛みが紛れてくるのを感じていた。結局、一方的に気遣われていることに感じる不満はせめてもの抵抗で、人の体温に抱かれる心地よさが、ミロの全身を頑なに支配していた硬直を解いていった。 「続けろ」 無意識に立てていた爪を緩め、カノンの肩に残った赤い痕に口唇で触れる。 「大丈夫だ」 強がりではない。大丈夫ではないけれど、きっと、大丈夫だ。身を任せることに安心を抱く日が、自分に来るとは思わなかった。 対等でありたい。いつの時も。しかしそれは、つまらない自尊心に縛られることではない。表面的な上下など、意味を為さない。この行為が快楽に繋がるのは、分かち合い、与え合うためのものだからなのだ。 命令口調の割に、しっかりとつかまってくるミロの仕草が、カノンには無性に愛おしいものに思えた。ゆっくりと腰を揺らし始める。走った感覚に、再度身を堅くするミロに耳元で声をかけながら、ほんの僅かずつ、本当に時間をかけて、自身を締め付ける力が緩んでいくのを、カノンは忍耐強く待った。切迫した熱情を内に飼っているものとは思えないくらいじっくりと、進んでは引き、止まり、また進む。それは見ていられないほど、稚拙な交わりであったかもしれない。しかし、これ以上に、満たされることはなかっただろう。 「……ふっ、………、ぁ………」 痛み以外を拾えることを覚えた器官は、徐々に大きくなる腰の動きにあわせ、収縮と弛緩を繰り返す。いつしかミロの中で、痛みに混じっていた快感が大きく膨らみ、その痛みさえも凌駕していった。熱の源は内壁を圧迫し、確かな存在を主張する。焼きつくされるかと恐れていたそれは、ミロに熱を移し、芯に焔を灯す炬火となった。泣き濡れたミロの硬直は下腹部に挟まれ、先端が擦れる刺激さえも快感の波を作り出す。しかし、募るのはもどかしさばかりで出口は見えない。穿たれた楔から生み出される衝撃が、脊髄を駆け上がり脳へ直接響き、一瞬飛びそうになった意識は、すぐに次の快楽で呼び戻される。 「…ミロ……」 「……ん、…ぁ、ああ……!」 初めはミロを宥めるように囁かれていたカノンの声も、行為が深まるにつれ途切れ、代わりに熱い息遣いが聞こえてくる。ミロは恍惚に染まり痺れる頭で、ひたすらに意識を集めていった。僅かに漏れるカノンの息。熱の在り処。切なげに、うわ言のように、小さく呟かれる己の名前。内から込み上げるものが、なんという名をしているのか分からない。切実に呼ぶ声に、自分を求める熱に、手に触れ、耳に響き、体の表面から、内側からも埋め尽くされ、満ち足りて、溢れ落ち――。 「…ッ……カノン!!」 それは、一つの名を結んだ。 求め合う激しさが嘘のように、刻を止めるその時、どうやって目を開けられたか、ミロには分からなかった。目の前には碧い瞳があって、中に自分を映した光が輝いていて、深海の色のそれは、とても綺麗で。ミロの瞳の中の人物は、それから、大きく顔を綻ばせた。ただ、幸せそうに。 「ミロ」 瞬きすることも忘れて見惚れていた。だから、その笑顔が、幸せそうな微笑みが、今日、初めて呼ばれた自分の名への返事だということには、遅れて気がついた。 「……カノン」 「ミロ」 「カノン」 「ミロ」 忘れていた瞬きで、睫毛に溜まっていた雫が弾けて散る。呼ばれた名に答え、求めた相手に応えられる。それだけで、こんなにも満たされる。 再び腰を揺り動かされ、もう一度呼ぼうとしたその名は、喘ぎ声に取って代わられた。自分の声がうるさい。カノンの声が聞こえない。もう少しも取りこぼしたくない。十回呼ばれても、一度くらいしか返せなかった。これまで知らずに過ぎた分まで、少しでも多く受け取ってやりたいのに。 激しさを増した律動に追い上げられ、これ以上ないくらい昂ぶった自身に手を這わされた時、ようやくこの長い一夜に終わりが来るのだとミロは悟った。強く抱きしめられ、深く繋がった体の最奥に、自分以外の熱が打ちつけられるのを感じながら、真っ白になる頭で、自分の名前を聞いていた。放出の出口を開く手に導かれて、その中に、体に籠って暴れ回る全ての熱量を吐き出し、ミロは果てた。 声になったかならなかったか、それさえも分からない。最後の時に、手繰り寄せた意識で、必死に叫んでいた。 ――――――カノン。 そうだ。あの熱に、この声に。激しさと切実さを含むものに、ずっと、応えたいと思っていたのだ。 靄に覆われていた答えが、一つ、分かった気がした。 見慣れた天井をぼんやり見上げていた。指一本、眼球一つ動かすのも億劫だ。 余韻も冷めやらぬ間に、ミロの体を案じて、気忙しげにするカノンに、笑いたいような、逆にそんなに軟弱には出来ていないと文句を言いたくなりもしたが、顔を緩めるのも口を開くのも面倒で、挙句、平常なら絶対に許さない諸々も好きにさせたのは、情事の後に絆されたというよりも、極度の昂揚の最果てに訪れた、放心を通り越した無心の境地だったからである。ひとしきりミロの体を浄め終わって安心したのか、体重をのせてミロの胸に顔を埋めるカノンは、どことなく甘えた子供のようで、重い、と無下に押しのける気にもならなかった。これは、絆された、の方かもしれない。ミロは、胸の上にかかったカノンの髪を掬い、明かりに向けてかざした。光に透けて明るく輝いた髪先が、さらさらと指の間を縫って落ちる。 「もう寝る」 ぼそりと呟く。口に出してみて、ミロは体中を覆う陶然とした疲労感を意識した。胸に顔を伏せていたカノンが、気だるげに上体を起こし、ミロの顔を覗き込む。ミロを見る目は愛しいものを見るように、無邪気な素直さを滲ませていて、実は思っていたよりもずっと、この男は顔に出る質なんじゃないかと、ミロは漠然と思った。 「一緒にいるか?」 感じる体温は温かい。額に触れる指の動きを、素直に嬉しいと感じられる。誰の傍でも無防備に眠れるわけではない。でも、今なら、このまま初夏の木陰に吊られたハンモックに揺られるように、安らかなまどろみに落ちていける気がする。しかし。 ミロは、近くから柔らかい視線を落とす碧眼に視線を合わせ、その瞳孔の中央にカノンの姿を映した。 「お前は、お前の在るべき場所へ戻れ」 情を交わした後なのに、いや、情を交わした後だからこそ。 声色は甘くもなく、突き放すような冷たさでもなく。真っ直ぐにカノンを見て、告げられた。 変わることなき運命。カノンがカノンである限り、双子座の星は選択を迫る。 でも、伝わればいい。 想っているのは俺も同じだ。お前だけではない。お前の痛みを、痛いと感じる者は。 ほんの少しだけ揺らいだカノンの瞳は伏せられ、口元には複雑な笑みが浮かぶ。何を考えているのか、ミロに知ることはできなかったけれど、普段は巧みに軽口ではぐらかすカノンが、答えをよこさないことで示した返事は、近づいた距離の証だと、思ってもいいものだろうか。ミロには、深く考える気力は残っていなかった。 「カノン」 呼ばれて顔を上げたカノンは、重たそうに緩慢に動くミロの指の先を、目で追った。指し示された先、サイドテーブルの引き出しを、ベッドから身を乗り出して開ける。がらんとした中に、ぽつんと無造作に放り込まれた鍵が一本、そこにはあった。飾りも何もつけられていない簡素な鍵は埃をかぶり、長く誰の手にも渡らずに放られていたことを示していた。 「鍵、掛けて行け」 振り向くカノンを、ミロは変わらず真っ直ぐ見返した。 「俺がいる時は、好きに入ってくればいい」 「……いない時は」 独り言のように尋ねるでもなく呟いたカノンに、ミロははっきりと聞こえる声で言った。カノンに、届くように。 「その時は。お前はここで、俺を待て」 掌に乗った小さな鍵をしばらく見詰めてから、カノンはそれをぐっと握りしめ、無言で頷いた。 それ以上は本当にしゃべりたくないといった風情で、口を閉ざしたミロをシーツに包み込み、カノンはベッドから腰を上げる。 今日、何度目かになる別れの挨拶を交わしてから、身支度を整えたカノンが、明かりを消し、寝室のドアを閉めるのを、ミロは視界の端に捉えていた。 遠くでかちりと音がするのを、暗闇の中で聞いた。他人がおろす錠の音で、閉ざされる。一人残された空間は、閉じ込めるための檻ではなくて、ミロを守る城となる。ミロは重い瞼を閉じ、今度こそ眠りの中に身を潜らせていった。 空は、先ほど二人でこの道程を上ってきた時よりも高く、無数の煌めきは、夜の闇にその輝きを増し、無限の宇宙の可能性と希望を、深く胸に刻む。見上げる度に思う。この輝きのもとに集い、導かれ、同じ時代を生きるということの奇跡を。 家路――。 そう呼ぶべき道を歩むカノンの心は、初めて清々しく澄み渡っていた。星々を抱くこの大気のように。 この先には、無限の刻が広がっている。今の、この平和な時には。 夜空に向かって弾かれた鍵は、散りばめられた綺羅の一つとなって星々の中に消え、それから、光の軌跡を描いて、再びカノンの手の中に納まった。 |
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Open 2012.5.28 / Renewal 2015.11.22
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